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2003年7月7日 月曜日
◆日本型モデルを解体して
私が初めて日本を訪れた一九八九年の夏、杜会の雰囲気は今とはかなり違っていた。日本はまるで世界を支配することに熱中しているかのように見えたし、また、日本を見る世界の目も現在とは正反対だった。日本の企業はかなりの力を持っており、ヨーロッパやアメリカの競合企業に非常に恐れられていたのだ。
当時すでにアメリカの経済学者や経営指南者たちは、国内での緊急対策を呼びかけ、もしアメリカが速やかに抜本的た構造・政策改革を実施しなけれぼ、日本の競争者たちに打ち負かされてしまうだろうと説いていた。また当時、外国の私の知人たちは、日本企業について常に畏怖と尊敬の念を交えて語っていた。彼らは、他の追随を許さたい日本の経済成長と成功を目にして、日本的やり方を理解し、真似しなけれぼたらないと考えていたのである。
しかし今日、東京で働く外国人ビジネスマンたちの会話を聞くと、明らかに日本企業を見下し、同情的にさえなっている人々が増えているように思われる。かつては評価された政府と民間企業の協力体制も、今では縁故主義だと冷笑を浴びているし、また、かつては巧妙な制度とされた年功序列・終身雇用制度も、今日では「非融通的」とか「フローズン(凍結している)」だなどと言われて否定され、その他諸々も同様である。今や誰が見ても、早急に構造改革が必要なのは、アメリカではなく日本になってしまったのである。
先に述べたようた、一九八○年代のアメリカやヨーロッバの評論家や専門家たちが広く喧伝した懸念を、大袈裟だと一笑に付してしまうのは、今となれば簡単である。一九八○年代の日本の支配力増大に警鐘を鳴らした人々は、明らかに問違っていたと思えるからだ。それに、一九九〇年代に起こったことを考えると、結果的に、日本はアメリカ経済にとって深刻た脅威ではまるでなかったのだという印象さえ受けるだろう。
すなわち、不況が一〇年以上も続いて今や経済が窮地に陥っている国が、アメリカに深刻な脅威をもたらすことなどできたはずがない。国民所得が縮小して失業率が上がり、杜会福祉に頼らなけれぼ生活できない人々や、公園で青いビニールシートを張って暮らしている人々、さらに経済的重圧から自殺を選んだ人々が激増し、企業の倒産率が記録的に伸びている(一九九〇年以降、二〇万杜以上)ような国を、アメリカが恐れることなどなかったのだ、といった印象である。
かくして、一九八〇年代の終わりに、日本経済がアメリカ経済を支配する寸前にまで強大になったことなど、忘れ去ってしまうことは簡単である。つまり、日本の企業が実際に、アメリカの製鉄市場や家電市場で競合他杜を壊減状態に追いやったことや、アメリカの自動車産業に深刻なダメージをもたらしたことなど。
一九八○年代、貿易摩擦が激化したことをご記憶だろうか。それ以後、目本の貿易黒字は、絶対額においても、GDP(国内総生産)に占める割合においても、ほとんど減少していない。にもかかわらずなぜ、アメリカの貿易交渉者たちの不満がなくなったのだろうか。この問題についてアメリカが関心を持たなくなったのは、単純に、アメリカが日本をもうそれほどの脅威と見たさなくなったからである。同様に言えぼ、アメリカが声を大にしてこの問題に不平を唱えていた一九八○年代には、日本は確かにアメリカの経済的利益を脅かしていたのである。
日本の経済については、誰もが大きな誤解をしている。本当は、日本の経済モデルはかなり成功していたと言えるのだ。では、いったい何が起こったのか。明治時代に始まり、一九三〇年代には南満洲鉄道の誇る特急「あじあ号」並みの早さで、また一九六〇年代には新幹線のような早さで、急速に成長してきた日本経済は、どうしてその軌道を外れてしまったのか。
前世紀、日本の経済モデルは高水準の成功を維持していた。とりわけ一九三〇-九〇年の六〇年間は、日本特有の経済モデルはその急成長にかなりの貢献をした。そこで、ある「何か」が急成長という名の列車を脱線させたかったならば、日本は九五年頃にはアメリカを乗っ取っていただろうし、世界で最大の経済力を誇っていただろう。では、その「何か」とはいったい何だったのか。
実は、日本がアメリカを乗っ取るだろうと警告していた人たちば、問違ってはいなかった。むしろ、きわめて正しかったといえる。正しかったからこそ、アメリカ経済界のリーダーたちは、彼らの警告を聞き入れたのである。アメリカは口では、自由貿易や自由競争主義が基本理念だと訴えているけれども、実際には日本にそれを許そうとはしていなかった。それでアメリカは結局、日本にアメリカを乗っ取らせないよう手を打った。つまり、アメリカ経済が優位になるような政策が採られたのである。
競合相手に勝つためには、自分が強くなるという方法以外に、相手を弱らせるというやり方がある。私は一〇年来の調査研究によって、アメリカが日本の競合者たちに打撃を与え、日本の経済力そのものを致命的なまでに弱らせる、という政策を採ったという結論に至ったが、アメリカがとったこの攻撃の主たる目標は、日本型経済モデルを破壊することにあったのだ。
私はこれまでの研究から、『円の支配者』『虚構の終焉』『謎解き!平成大不況』にも書いたように、上述のようなアメリカの政策が、三つの段階を踏んで行われていることを明らかにした。まず第一段階である準備段階では、日本経済の中にトロイの木馬が送り込まれた。ホメロスの叙事詩によると、トロイ人に贈られた木馬の中にはギリシャ兵が潜んでいて、夜中に木馬から出て内側から城門を開けてギリシャ軍を導き入れ、トロイを陥落させたという。日本の場合には、日銀がトロイの木馬を国内に招き入れた張本人であり、木馬は、日銀による銀行貸し出し統制という形をとっていた。
福井俊彦氏や、彼の先輩であった三重野康氏、そしてこの二人の先輩であった前川春雄氏(彼らはいずれも、就任の三〇年も前から日銀の総裁に選ぱれていた、「プリンス」と呼ぱれるエリートだった)らは、銀行貸し出Lや「窓口指導」を通じて銀行や経済を支配する力を持っていた。そして、一九八六年から八九年にかけて、福井氏率いる日銀の営業局は、投機的な不動産貸付けを増やすようにと、すべての銀行に命令していたのである。
第二段階は、金融引き締め政策だった。この政策によって、過剰融資は不良債権化し、銀行や企業は骨抜きにされた。さらに、経済は縮小し、デフレが引き起こされた。こうして不況を一〇年以上にわたって長引かせ、記録的な数の企業を破産に追い込み、失業率を過去最高にすることで、日銀は日本の経済活動をひどく痛めつけたばかりか、日本型経済モデルに悪名までもたらしたのである。かくして現在、専門家たちだけでなく、一般市民までもが、日本型資本主義はもう駄目だと確信するようになっている。
そして現在、我々がいるのが第三段階である。外資が街を跋扈し、日本の企業や銀行、そして不動産が二束三文で外国の投資家たちに売り渡され、さらに、かつての経済構造の最後の片鱗までもが、政治改革によって解体されつつあるのだ。
たとえば、一九七八年に、外資は東京証券取引所の全銘柄のうち、わずか二・八バーセントしか所有していなかった。ところが一九九〇年の不況がそれを大きく変え、二〇〇二年の三月には、そのシェァは一八・三パーセソトにまで伸びた。外国人投資家が保有するソニーやTDK、山之内製薬、HOYA、富士写真フイルム、ローム、花王のような優良企業の株は、三五パーセソト以上、企業によっては四〇パーセソト以上になるところもある。もちろん、かつての大企業で、今や完全に外資の所有になっていたり、その支配下に入っているところもある。例をいくつか挙げると、旧山一証券、旧日債銀、旧長銀など、がそうである。
ゴールドマン・サックスやJPモルガン、AIG、リップルウッド、そしてローンスターといったアメリカの大手金融会杜やハゲタカ・ファンドは、日本の不動産や企業の所有権を急激に増やしている。最も大量の不良債権は、やり手のハゲタカ・ファンドで、「フィナンシャル・タイムズ」によれぱ一〇〇億ドルの資産を持つというゴールドマン・サックスが保有していることが知られている(なお、「窓口指導」でバブル経済を作り、一九九四-九八年には日銀副総裁として不況を作った中心的人物である、現日銀総裁の福井俊彦氏は、ゴールドマン・サックスの顧問団のメンバーでもあった。これはいわゆる「利害関係の抵触」にあたろう)。また、モルガン・スタソレーは五〇億ドル分の「不良債権」を手に入れたし、その他にも外資のハゲタカたちは、りそな銀行の資産など、もっと多くを手に入れようと狙っているのだ。
この不況に終わりはないのだろうか。もし本当に日本経済が、アメリカの経済評論家たちが信じ込ませたように、それほど悪い状態にあるのなら、なぜウォール街の会杜は躍起になって、日本の銀行や企業や土地を手に入れようとしているのだろうか。
実は、日本は日銀の金融政策によって人為的に破滅させられたというのが、真相なのである。外国の投資家が日本の企業を安く手に入れられるように、ある日銀出身者が、破綻させたい企業を「汚れた企業」とか「ゾンピ会杜」と呼んでリストにまとめたことは、もはや公然の事実である。日銀の金融政策が、信用創造を減らして国民所得のバイを小さくすることによって、多くの日本企業を倒産させることに全力を注いだのであるから、破綻をもたらしたのも当然である。
その日銀の政策委員会と福井総裁は、今年三月以来、経済への公的資金投入額を増やしていると繰り返し述べているが、実際は違う。中央銀行の銀行支払準備金は増えても、経済全体の額は増えていないのだ。
確かに日銀は市中銀行から少額の株を買っている。しかし、「買いオペ」による積極的な資金投入は、為替手彩や短期約東手形、国債などの「売りオペ」によって相殺されており、そのことについては、政策委員会も福井氏も説明していない。これにより、実は二〇〇三年四月には日銀の経済への公的資金投入は、一年前に比べて落ち込んでいるというのが実態である。四月と五月に円高になったのも、それが原因である。またしても、日銀の言っていることとやっていることは全く矛盾しているのである。
かくして、高度に成功を収めていた日本型経済モデルは、資産のウォール街への移行によって、その解体が決定的たものとなった。今後、再生が許されたとしても、日本が元の状態に戻ることはないだろうし、何より、二度とアメリカの脅威となることはないだろう。(後略)(なぜ日本経済は殺されたか P8−P15)
吉川元忠 リチャード・ヴェルナー著「なぜ日本経済は殺されたか」:http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2118688&x=B
この本の共同著者の吉川元忠神奈川大学教授は「マネー敗戦」等の著者ですが、テレビにおいてエージェント的発言をするエコノミストのテレビ占拠で、正論が排除される無力感を指摘している。昨日紹介した小山常美教授も日本の憲法学界からは異端とされて、無名の短期大学の教授をされている。このように正論を指摘する学者は有名大学の教授にはなれない構造になっている。
早稲田大学にしろ慶應大学にしろタレント教授が我がもの顔でテレビをはしごしている。竹中平蔵大臣もその一人だった。このように世渡り上手な学者やエコノミストだけが、経済的な良い思いが出来るようになっている。テレビに出て有名大学の教授になるだけで著書はベストセラーになる。そして無名の学者やエコノミストが書いた著書は、タレント教授によって「とんでも本」として隅に追いやられる。
しかしアメリカ政府のやり方は近年ますます露骨になり、かつてリチャード・ヴェルナー氏が「円の支配者」で指摘した予言が的中している。日銀のプリンスの福井俊彦氏が日銀の総裁になることも「円の支配者」で予言していた。そして日銀こそがトロイの木馬として日本経済の破壊に尽くした功績は、最近になって証明されつつある。
バブルの発生もバブルの崩壊も日銀が重要な働きをしたことが、ヴェルナー氏によって明らかにされた。先週書いたように、最近の株価高騰は5月に行った4兆円ものドル買い介入が原因の一つになっている。しかも「不胎化介入」をした。つまり金融の量的緩和すればバブルの崩壊は防げたことを日銀は知っていたと思われる。
昨日の日記で書いた憲法問題でも指摘したとおり、GHQから押し付けられた憲法を丸呑みし現在まで来ている。現行憲法である限り日本がアメリカの植民地であることは逃れることは出来ない。植民地であるということは税金はアメリカから徴収され、イラクへ戦争に自衛隊が駆り出され、しかしアメリカの選挙には日本国民は参加できない。こんな明白な事実があるのに日本国民は思考停止して、アメリカ金融資本の奴隷にされてゆくのだ。