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(回答先: 「良き事」のために 投稿者 Q太郎 日時 2003 年 8 月 04 日 20:49:57)
非常に勉強になります。
ふとショウペンハウエルの言葉が浮かびました。
「私の世界観によれば、現存在それ自身は、無い方がましなような何物かなのであり、一種の錯誤なのである、──そして我々は現存在の認識によってこの錯誤からつれもどされなければならない。人間は、それが現存在であり人間である限り、もうすでに一般的に間違いのなかにあるのである」
認識による錯誤からの救済は、人間の持つ「精神」の特徴かもしれません。我々は意識することによって、その錯誤から免れることができるのですから。
ショウペンハウエルはこうも言っています。
「またしても私は、お前の哲学には慰めがない、という声をきかねばならぬのだろうか。──それというのも、私は真理にしたがって語っているのに、ひとびとは主なる神が万物を立派に創ったというようなことをききたがっているからにほかならないのだ。それなら教会にいかれるがいい、そして哲学者のことはそっとしておいて貰いたい。少なくとも哲学者に対して、その教理を諸君の雛型にしたがって裁断してくれというような要求は差控えてもらいたい。──尤もルンペンども、似非哲学者どもならそれをやってくれる。彼らのところでなら諸君は御注文通りの教理を誂えることもできるであろう」
次のものは『プロパガンダ』A・プラトカニス−E・アロンソン共著からです。
「われわれ人間は、自分たちを理性的な動物だと考えようとする。しかし、どうもそうではなくて、理性的であるように他者に対して、そして自分自身に対して見せようとする、という意味で合理化する動物、といったほうがぴったりする。人間は、自分の人生が無意味でないことを確信することに全人生を費やす存在である、とカミュは言った。しかし、自分の人生が無意味でないことを、どうやって証明したらよいのだろう。自分の行為を正当化する方法を探し出すことによって可能になるのである」