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(回答先: 朝日本日社説、土井の辞任を要求。朝日ってのは事実上アメリカの手先だな。 投稿者 えびぞり 日時 2003 年 7 月 23 日 14:20:42)
http://justice.i-mediatv.co.jp/tahara/011009/01.html
【Part1 客観報道という美名の弊害】
いまの日本のマスコミは、新聞もテレビも同じだが、非常に臆病すぎる。
そうなった理由として、歴史を振り返ってみると次のような点が指摘できる。第二次大戦に負けたあと、ドイツと日本はGHQに全く違った占領の仕方をされた。
中でもいちばん大きな違いは、マスコミであった。ドイツの場合は、戦前、戦中の新聞は全部つぶされ、新しい新聞に変わった。だから戦前、戦中の新聞は残っていない。それに対し、日本ではつぶさなかった。だから朝日、読売、毎日など戦前からの新聞がそのまま残っている。
その理由の一つは、日本を途上国だとバカにしていたのだろう。教育してやれば、自分たちに都合がいいように変わると見たのではないか。つまり、先進国が後進国に対するような扱い方だった。
占領軍は戦後日本を間接統治した。総理大臣も閣僚も官僚も組織としてはほぼそのまま残り、GHQがその上に立つ仕組みである。
それに対して一般的には知られていないが、マスコミだけは直接統治をした。その点は全く違うのである。一つは検閲を徹底的にやったことで、もう一つは日本のマスコミに「教育」をした。その教育の中で、GHQが打ち出した一つが、客観報道というものであった。ようするにマスコミは、公平で、公正でなければいけない。間違った情報を流してはいけないと、これを徹底させた。
それが残っている一番悪い習慣が、記者クラブである。客観的で間違っていない報道としては、各省庁の発表報道はぴったりである(実際には間違った発表もたくさんあるが)。だから発表報道を、いまの新聞もテレビも、異様にメインにしている。新聞記事などはほとんど発表報道だと言ってかまわないだろう。
それが続くうちに、マスコミはあぐらをかいてしまった。リスクをとらず、安全圏で報道をするようになった。
言い換えれば、責任をとらない報道になってしまったのである。
責任をとらない報道とは具体的に言えば、たとえば靖国神社に小泉首相が8月15日に参拝せず、13日に前倒ししたときである。新聞もテレビも「15日にいくべきだった」という意見と、「13日でよかった」という意見と、必ず両論を併記する。しかもその両論併記が、外部の学者や専門家からのコメントによってなされている。
では、いったいその新聞、テレビはどう考えているのかということである。
本来ならばそれぞれの新聞社の腕利き記者に、「私はこう思う」と書かせるべきである。ところがそれがない。だから結局何を主張したいのか、良いと考えているのか悪いと考えているのかさえわからない。社説があるではないかと言うかもしれないが、無署名の社説には人格がない。
「私はこう思う」という部分がない。これが「客観報道」という美名の正体なのである。
責任をとらず、安全圏でしか報道していない。新聞を例にあげてきたが、テレビもまったく同様である。
【Part2 リスクと責任をとれ】
情報が氾濫する時代においては、そんな両論併記の客観報道は読者を惑わすばかりである。だからいまこそ、署名入りの「私はこう思う」という記事を書かせるべきなのだ。
特殊法人や銀行のみならず、それを批判しているマスコミもまた、リスクと責任をとっていないとは大問題だと思う。リスクと責任をとらない経営が危ういように、リスクと責任をとらないマスコミもまた危うい。ひいては、その影響のもとに進んでいく日本も危ういということである。
アメリカの場合は署名入りで書く。日本の新聞はいまだ護送船団方式。日本の政治経済で起きている問題が、マスコミでもそっくりそのまま起きているのである。
私は非常に鮮明に「自分はこう思う」ということを打ち出してきた。しかし現状においては、これは例外である。むしろ非常に危ないことをしていると思われている。正統派だとは誰も思わない。
しかし、アメリカではそちらが正統派であり、当たり前なのである。
あるいは「主張してきた」と反論する新聞・テレビもあるかもしれないが、「権力ウォッチャー」としてのマスコミという意味では、あるていど認めてもいいだろう。つまり野党の役割を担ってきた。しかしそれもまた、安全圏からの発言という意味ではコインの裏表にすぎない。権力政党・自民党が強かったからそれが出来たにすぎない。自民党と社会党は一見表面ではやりあいながらも、裏では実は折り合ってきたが、それと同じである。
しかしそのような、批判をしていればいいという時代が終わったのである。
現在は、はっきりした正解のない中を、それでも常に「正解はこれだ」と判断し決断しながら進んでいかなければならない時代である。
批判などというのは気楽なものである。しかし、いつまでも気楽な批判などしている場合かということである。
日本で左翼的ジャーナリズムが根付いたのは、逆説的だが権力が強かったからである。日本の経営者も日本的経営に非常に自信を持っていた。だから、行き過ぎや腐敗がないよう批判していればよかった。しかし、それだけでいい時代は終わったのである。
言い換えれば、「報道とは何か」が真の意味で問われているということである。
そのとき大切なのは、リスクと責任を負いながら「自分はこう考える」ということを明快に主張していくことである。
いまをメディアの移行期と見るか、混乱期と見るか。5年なり10年たったときに優れたマスコミになれば、いまは移行期であったことになるし、そうならなければただの混乱期である。私はいまを絶対に移行期だと考えたい。
だから5年後なり10年後の理想的なマスコミというものをあえて定義するとすれば、現状否定をしていればよかった立場から脱却し、リスクと責任をとりながら具体的な提案ができるマスコミである。
いまマスコミの多くは「ここが悪い」ということばかりを書いているが、それはけっきょく安全地帯で言説をもてあそんでいるにすぎない。一方、「いま日本の可能性はここにある、ここで勝負すべきだ」ということを書くのは、とても勇気がいることだ。しかし、そこを、マスメディアはやらなければいけない。日本という言葉を便宜的に使ったが、要するにいかなる問題でも同じである。
具体的な目標やアイデアを、一つなり、せめていくつかなり提示していく。そういう役割を担っていかなければいけない。批判するのはかまわないが、その場合には「我々ならこうやる」と対案を出すべきである。
そのためにはマスコミ側も知性が必要だし、何よりも現実を知らなければいけない。世の中とは、論理的にきれいにスパンと割りきれるものではない。だから評論家が弱いのは、そこを論理だけで割り切ろうとするからである。マスコミが安全地帯にいて、現実と格闘しようとしなければ、その存在理由など何もないだろう。私は現実にこだわろうと思うし、またそれを実行してきたつもりである。
マスコミは地に足をつけて、「いまこうなんだ、こう考える」ということをスパンと言わなくてはいけない。悪しき客観報道はもう不要である。
※田原氏(田原氏もマスコミ人としては?だが)がいみじくも
『そうなった理由として、歴史を振り返ってみると次のような点が指摘できる。第二次大戦に負けたあと、ドイツと日本はGHQに全く違った占領の仕方をされた。
中でもいちばん大きな違いは、マスコミであった。ドイツの場合は、戦前、戦中の新聞は全部つぶされ、新しい新聞に変わった。だから戦前、戦中の新聞は残っていない。それに対し、日本ではつぶさなかった。だから朝日、読売、毎日など戦前からの新聞がそのまま残っている。
その理由の一つは、日本を途上国だとバカにしていたのだろう。教育してやれば、自分たちに都合がいいように変わると見たのではないか。つまり、先進国が後進国に対するような扱い方だった。
占領軍は戦後日本を間接統治した。総理大臣も閣僚も官僚も組織としてはほぼそのまま残り、GHQがその上に立つ仕組みである。
それに対して一般的には知られていないが、マスコミだけは直接統治をした。その点は全く違うのである。一つは検閲を徹底的にやったことで、もう一つは日本のマスコミに「教育」をした。その教育の中で、GHQが打ち出した一つが、客観報道というものであった。ようするにマスコミは、公平で、公正でなければいけない。間違った情報を流してはいけないと、これを徹底させた。
』
と書いているように、日本のマスコミは戦前も戦後も御用機関であるからこそ、解体されずに済んだのである。
戦後はご主人様が変わっただけであり、許認可事業のTVも御用機関としての特性は、新聞と何ら変わらない。
その意味では、戦後日本には市民の声を反映させたマスメディアがあったのだろうかと思いたくなる。マスコミは第四の権力とも言われており、マスコミを牛耳れば世論操作などいとも簡単なのだ。