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(回答先: 我々と天皇(制)との接点は何処に? 投稿者 如往 日時 2003 年 7 月 07 日 07:53:48)
Ddogと天皇との接点にリアリティをとの再三の問いかけに、再三答えているつもりですが、どういったら納得するのかお逆に聞かせ願いたい。
「日本とは何か」「日本人とは何か」を考えるとき、天皇の存在とその変質は無視できない存在である。
日本という国、民族の形成において、古代、天皇の求心力が作用したことは避けられない事実です。天皇は神として振る舞い、小室学説では、キリスト教的神で、予定説(天皇絶対主義)であった。そして、平安中期、武士の発生と同じくして、天皇の役割が実質権力と分離していく過程で、中世に突入していった。承久の乱で、天皇予定説が死んで、因果律(善政主義)象徴天皇に変質した。その中世も、一人の天才織田信長により、実質権力と象徴権力の分離に成功し中世の幕引きをした、徳川家康により近世が開かれ、権力と宗教、国家元首(象徴)の完全分離に成功した。ただし、織田信長は天皇制を最終的に存続させていたか疑問であるが、後水尾天皇は、失意ではあったろうが、徳川家康は、因果律の象徴天皇を存続させたのである。明治維新の遠因であり、日本の柔軟構造の知恵だと認識している。
皇国史観は予定説に戻っている。戦前の皇国史観と私の歴史認識は異なるのである。まさか、如往さんまで、皇国史観と日本教(因果律)の区別がつかない?実に異なるのです。
日本人であることに誇りを持っていたなら、時代により変節しながら天皇システムを維持する大切さが認識出来ると思う。日本に害毒を振り撒いた進歩的文化人的思考(これが新しいと主張する輩もこの阿修羅には多い)に毒され日本に誇りを持てないのなら、何を言っても妥協する接点は有りません。
最後に如往さんが「直接的に恩恵を受けたこともなく、また特段に災禍を被ったわけではなく…」という箇所に失望しました。 恩恵をうけた受けないで、思想を決めるものではない。
キリスト教徒は、イエスにパンとワインを直接貰ったわけでないが、神のグレイス(恵み)を感じた時に、感謝の気持ちが沸き上がり、信仰心が芽生えると考えてます。私は、天皇のグレイスを歴史をひも解いた時に感じます。
近代の白人植民地支配を打倒したのは、天皇のグレイスである。経済の植民地体制を打倒できないのは、天皇のグレイスを理解できない=日本に誇りを持てない日本人が増えて、国益を損ねているからだ。