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皇室が終戦後、キリスト教側に大きく舵を取ろうとした形跡がある。
1 昭和21年田中耕太郎(カトリック信者)、斉藤勇(プロテスタント信者)からキリスト教の講義を受けている。
2 12歳だった皇太子、天皇の弟高松宮、天皇の妻良子がクエーカー教徒ヴァイニング夫人から英語とともに、キリスト教を学んでいる。皇太子はジミーと彼女から呼ばれていた。
3 昭和22年「神社新報」インタビューで高松宮はこう答えている。
「神道は教理や教学的な面が空虚だ。・・・・・・・神道に欠けているものをキリスト教とタイアップすることで学ぶべきではなかろうか。」(神道、キリスト教タイアップ論)
4 昭和23年、国際基督教大学の設立準備委員会での高松宮の講演。
「キリスト教がわが国の光となることを切に願う。」
ちなみにこの大学は、マッカーサー(最高位メーソン)の肝いりで作られたという。マッカーサーは自らを「軍服を着た宣教師」と位置づけていたほどきわめて熱心なプロテスタント信者である。彼は本国の教会に要請し、米軍用機で乗りつけた宣教師が2500人、輸送船で運ばれた簡易版聖書が1000万冊だったという。
ここまでは確実な事実。問題は以下。
5アメリカを代表するカトリックの説教師の頂点はビリー=グラハムである。アメリカの歴代大統領ともっとも緊密な関係を保っているきわめて影響力の大きな人物である(ちなみに、彼は米国のメーソンのアメリカ支部のホームページでメーソン会員であることが公式に明らかにされたことは、以前の阿修羅の記事のとおり)。彼が戦後、進駐軍とともに巡回説教に来たとき、奇妙な噂を耳にしたという。それは昭和天皇が「日本をキリスト教の国にするのがよいと思うがどうだろう」とマッカーサーに相談したという噂だったという。後年、グラハムは、ニューヨークに住むマッカーサーにあってこの噂の真相をただしたという。マッカーサーは、「Certainly(そのとおりだ)」と答えたという。これは真意のほどはわからないようだ。 ただ、少なくとも昭和天皇はマッカーサーに不自然なほどに従順すぎるほど従順だった。自分に戦争責任があるのだからという意味で、自分をどのようにしてくれてもかまわないとまでマッカーサー元帥に言っている。純粋無垢な少年が、海千山千の腹黒オヤジ(マッカーサー)に接するような態度だった。
6.昭和天皇がメーソンに加入していたのではないかという話が著作家・財川外史によって書かれている(学習研究社、月刊ムー7月号)。
戦後、古神道の金井南龍の主催していた神理研究会の座談会で、日本屈指のスペイン語の権威、笠井鎮夫教授が驚天動地の話を漏らしたという。昭和天皇が皇太子だったころ、メーソンの社員の服装で写っている写真が存在する、というのだ、と。この話を、彼は、東京の法曹界では知らぬものはない高名な下村栄二弁護士から直接聞いたという。当時下村は三菱グループの顧問弁護士。昭和20年春、下村は東京大空襲で焼け出され、杉並区の松庵に避難。その隣家が詩人の小田秀人(心霊研究家でもある)で、すぐに仲良くなったという。この小田と上の笠井が友人関係。笠井は下村とも交友を結んだ。で、小田の家の離れでこの話が出たという。下村は別の弁護士益田正雄からメーソンの機関紙に皇太子のメーソン正装の写真が掲載されており、それを実際見せてもらったと断言したという。
笠井は上の座談会で、「誰かが何らかの目的でこんな写真を偽造したのでなければ当然若き日の皇太子が多分外国滞在中にどこかのメーソンのロッジをご訪問されたことになる。」と発言。もし写真が本物なら、大正10年の欧州巡行のときに撮られたものではないかと推測しているという。その根拠として、そのときの皇太子の供奉長を務めたいた珍田捨巳伯爵が「知る人ぞ知るメーソン社員」だからだというのである。(ちなみにサムさんの報告では三菱はメーソンの牙城だそうだ)。
この話もどの程度真実なのか判断できない。しかし、アメリカが今イラクで行っているように、終戦直後キリスト教を猛烈に普及しようとしたことは事実である。つまり西洋の宗教を異教徒日本人に布教せんとしたことは事実だ。あれば、戦前からすきあらば西洋の宗教を布教しようと試みていたことは事実。アメリカ支配層でメーソン高位のメンバーが日本の支配層をメンバーとして取り込もうと試みてもなんら不自然ではない。彼らならやりかねないことは事実だ。もしこれが真実なら、皇室の神道離れは実は戦前から進んでいたということになる。とすれば、終戦直後、皇室一家がキリスト教に強い関心を寄せ傾斜していたことは合点が行く。仮にこの6と5の話が根も葉もない話だとしても、皇祖・皇宗を守るべき皇室がここまでしてキリスト教への傾斜を強めた気配がうかがわれるのか。戦後、皇室は着ているものから何から西洋人のライフスタイルである。皇室メンバーが邦楽を演奏するという話は聞いたこともない、皇太子はバイオリンである。。前出の金井南龍は、昭和天皇家では天皇が那須に、皇太子と美智子妃がともに軽井沢静養というスタイルで、つまり三種の神器が置かれている御所の賢所(かしどころ)を“無人状態”にしていると指摘している。本来どちらかが賢所にいるのが皇家神道の伝統だという。つまり昭和天皇家は皇祖・アマテラス大神を祭る賢所を留守にした、という。
神道は、日本の精神は、一体彼らによってお留守になっているのではないか。皇室において、神道の司祭としての役目の意識は次第に弱体化しているのではないか。雅子さんが入ってからいっそうその感が強いのだが。つまり、天皇制は内部から空洞化・溶解しつつあるのではないか。テレビで写る彼らのライフスタイルから彼らが日本の精神を守る気配はまったく感じられない。皇太子の娘さんはさらに洋風に育てられるはずで、われわれと意識の持ち方はほとんど変わらなくなるだろう。皇室メンバーにおいて次第に、日本の伝統的意識は弱まっていくと思われる。日本の伝統継承をこの家族に托すというのは土台いかにも無理があるのではないか。それは彼らにとって重く過大な期待となるのではないか。伝統といっても彼ら自身もだんだん何が日本の伝統なのかわからなくなる方向に進んでいるのではないか?上の年前の段階の高松宮の発言をもう一度確認してほしい。現代の彼らは神道が何であるのかというより、アメリカというのがどういう国なのかといった知識のほうがふえているのではないか?
問題は結局われわれ自身のありかたではないか?彼らに日本のあり方に対してあまりに安直に期待しすぎてないか?国民の代表とか、統合の象徴って一体いかなる意味なのか?本質的な思考をしたことがわれわれないのではないか。