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(回答先: あっしらさんへ。イスラームに関する質問です 投稿者 勉強中 日時 2003 年 6 月 30 日 04:24:56)
勉強中さん、こんにちわ。
コーランは、岩波文庫(井筒訳)・中央公論世界の名著ペーパーバック版(訳者不明)・中央公論新社(昨年発行の赤白新書サイズ・訳者不明)の3種類を持っていますが、現在愛用しているのは最後のものです。(紙質と印刷の鮮明さによる読みやすさが決め手ですが)
イスラム関係の推奨できるのは、講談社選書メチエ『イスラームのロジック − アッラーフから原理主義まで −』(中田 孝著・1600円)です。
(読むのに少し骨が折れますが、ちくま学芸文庫『イスラム哲学への扉 − 理性と啓示をめぐって −』(オリヴァー・リーマン著・中村廣治郎訳)で紹介されているガザーリーの論の立て方は興味を引きました。ガザーリーは哲学者から神学者に移った人です)
旧約聖書を初めて読んだときも、神の全知全能と契約違反者に対する罰の激しさに驚いたものです。(暴風雨・地震・雷などの破壊的な自然現象を神々の怒りと結びつける考えとは異質の考えだと受け止めました)
バビロニア時代は、都市(部族)と神が結びつき、都市間の抗争は神々の抗争でもありました。
この時代の神は世界性を持たず、敗れた神(都市)は勝った神(都市)にとって代わられる運命にありました。
ユダヤ教が都市(部族)を越えた民族の統一神を位置付け、イスラムが民族を超えた統一神を位置付けたと思っています。(都市(部族)神→民族(国家)神→世界神)
神が具体性や地域性を喪失し抽象的で普遍的な存在になることで、人格超越神啓示宗教が脱民族・脱地域の世界性を持つようになったと考えています。
(“正統派”キリスト教はユダヤ教的世界観と折衷の宗教として世界性を持つようになったことで、民族性と普遍性(世界性)の自己矛盾に陥っていると思っています)
絶対的な力を有する抽象的存在としての神とその論理的啓示は、貨幣の価値に普遍的絶対性を感じ、商才(論理)が成果を左右する商人世界では素直に受け入れられるものだろうと推測しています。
保有する貨幣量と武装力が基本的に優劣を決する(国際ないし都市間)商人世界の安定と調和を実現する共同体的価値観としてのイスラムを高く評価しています。
(前近代の国際商人世界でイスラムを超えた教えが提示できるかと考えたとき、私には「ない」ように思えます)
“脅迫”という不信心なる言葉を持ち出したのは、えぐい商才と非道な力で獲得した貨幣により現世で栄耀栄華を誇りながら天寿をまっとうする人たちの存在を考えたとき、そのような人々は最後の審判でゲヘナに送られるという教えを提示しなければ、イスラムの教えは理解を得られなかっただろうと想像するからです。
好き放題なことをやっても、楽しく贅沢に生きて死ぬことができるじゃないかと判断すれば、イスラムの教えは瓦解しかねないものです。
(国際商人の前身である遊牧民族は、“自由な”男子の結合による軍事力と末子相続に見られるように、個人(家族)の独立性が尊重される(その代わり戦果の分け前がない)とともに過酷な条件のなかで存続してきたと思っています。農耕民族や「文明国家」では、共同体的規範が優先され、長子相続が基本です。末子相続は非力な若年者保護と年長者の自力拡大を想定したもので、長子相続は、生産活動や統治活動の経験や知識蓄積を優先したものだと考えています)
信仰者へのエクスキューズとして、神が、遊牧・商人世界にはそれにふさわしい啓示を与え、農業世界にはそれにふさわしい世界観をもたらしたと考えていいと思っています。
アラブの人たちのイスラム理解などを教えていただければ幸いです。