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国家の伝統・理念とその時々の国民の多数意見・社会変化に対応する新しい社会的要求と
の間に緊張関係によるバランスをもたらす「立憲君主制」にとりあえず戻すべきです。要する
に戦前の体制を大きく取り入れた体制です。内務省・各種諜報機関・帝国陸軍などは復活させ
ます。本来国家ならばあって当然なものです。
諜報機関に関して言えば、「急がなくてはならないのはJCIAの創設と強化ではなくてJ
CIAの検挙と解体である」ということがあります。皆さんよく分かっているでしょうから、
ここでは説明はいらないでしょう。
これからは、科学技術面でのロシアとの連携が重要になってきます。お互いの軍事力を飛躍
的に強化することができますし、ロシアの質の向上した軍事力でアメリカを牽制できます。ア
メリカのスパイ工作対策にはロシアの諜報機関との連携が重要になってくるでしょう。
戦前の日本国会は貴族院と衆議院に分かれていて、さらに天皇と総理大臣・内閣とに最高権
力が分割されていて、伝統の力と国民の世論との間のバランスが追求されていました。一時的
に、次の体制の設計図が描けるまでこの仕組みに近いものに戻すべきです。戦前の日本も必要
性もあって民主主義を大幅に導入していましたが、彼らには民主主義とか資本主義をそれ自体
理想とするような現代人に多い思考停止をする趣味はありませんでした。
「民主主義」というものについては、それが我々日本人が「追求するべき理念」とか「政治
理念・方法論として至上の価値のあるもの」とか、「堅持するべき政治システム」とみなす必
要はまったくありません。
また「民主主義」ごときをそのようなものとみなすことは、本来の歴史ある日本文明の伝統
的立場からはまったく異質で根拠のないつまらないものです。
民主主義を絶対視したり、政治体制のレベル判定の基準とみなしたり、物事の是非善悪の評
価基準にしたりするような態度こそ、人類文明の可能性を損ないその進歩を妨げる幼稚で危険
な思想なのです。そのことは、最近のブッシュの言動を見れば一目瞭然なのです。
明治維新の頃、日本の指導者たちはその精神と言葉と行動の基本において「白人の文明」な
るものを基準とか理想とかとしていたわけではないのです。
江戸時代の後半にもなると、今の英米のいうところの「神道原理主義」が知識人や上流階級
の主流的思潮となっていたのです。中国・インドの文化が真の日本精神を堕落させているので
、それらを廃して古代の文明・精神を復活させ、強力な文明をもって欧米の侵略をはじきかえ
し、できれば世界に神聖な権利による覇権を打ちたてようと目論んでいたのです。彼らはしば
しばテロや戦争をもって英米人や政治家に襲いかかりました。
こうした思想は私の思い付きではなく、維新から1945年8月15日までの日本国の主流思潮だ
ったのです。大戦前の皇国史観や八紘一宇の国民教育・スローガンはそういう江戸時代から発
展してきた国学的運動を大衆向けに単純化して表現したものだったのです。
それが敗戦の時にいきなり強引に取り去られ、英米流民主主義と社会主義ばかりが国家シス
テムのありかたや国民の標準的価値観・常識を決定するようになったのです。私は日本社会の
思想やシステムがこういう暴力的で不自然な形で諸外国によって変更させられたという重大な
事実を忘れてはならないと思うのです。
歴史というものを現在のアメリカの主流思潮からしか見れないのなら、大久保利通も伊藤博
文も日本軍も全部英米に罰せられて当然の人類の敵ということになってしまいます。現にブッ
シュ大統領ははっきりと「昔の日本軍・ドイツ軍は現在のテロリストの元祖である。ビンラデ
ィンどもは彼らと同じ運命をたどる」と演説で言っています。
新体制も国家社会主義的な要素を十分取り入れるべきです。国家社会主義は軍国主義である
とか社会の破滅をもたらすものだというイメージは偏見なのです。
当時国政を担った人々が、いやいやでもある程度産業力育成より目先の軍備を優先せざるを
得ないと判断したのには理由があるのです。
英米帝国主義と中ソ共産主義勢力により世界的ブロック経済下で追い詰められていく状況に
対処しなくてはならなかったのです。日本の軍国主義自体、日本を取り巻いていたそうした過
酷な国際環境を原因とするものでした。
もちろん政治・経済体制としての国家社会主義が悪いものだと言う偏見などなかったし、経
済的には日独はその体制でそれなりの成功をおさめていたようです。
ファシズム(国家社会主義)は特権階級への憎悪・平等主義、配給制度や価格統制などの統
制経済、国家の指導による集団的生産体制などの計画経済といったソ連型社会主義の性質を確
かにもっていました。こうしたことは戦前(とくに戦中)の日本にも当てはまることだったの
です。
しかし、昔の日独とソ連には違いも大きかったのです。何といっても資本家の存在の有無は
大きな違いです。伝統的特権階級もファシストに根絶されたわけではありません。天皇以外は
ファシストに嫌われる場合が多かったと思いますが。
経済政策においてはファシズムは成功したままソ連・中共と手を結んだ英米に滅ぼされたの
です。ファシズム国家の経済政策はソ連と同一視してもいけないし、英米型資本主義との優劣
も定かではないのです。限られた時間の中でしか存在していなかったのです。
戦争直前には日満ブロック経済により本格的な産業育成と国民経済の規模の拡大をしなくて
はならないことは当時の経済指導にあたっていた軍人にも役人にもわかっていたのですが、開
戦に間に合わなかったのです。
それでも1930年代と1955年の日本人一人あたりの実質国民所得はほぼ同じだそうで
す。「戦前日本は北朝鮮」説はこのへんでもいかがわしいと思います。
戦後の北朝鮮では日本政府によって電気・水道・鉄道・ダムなどの基本的社会インフラ、学
校制度と校舎、工場と近代市場・流通システムなどがすでに植えつけられた状態で建国をスタ
ートしたのは有名な話です。
それらの膨大な資産の見返りを北朝鮮はビタ一文日本に支払っていないことも有名です。
また、明治維新以前の日本封建政治と近代朝鮮の専制王朝政治は構造的に異なるものだと思
います。中国の専制中央政治ほどは知りませんが、西欧や日本に見られるような封建政治では
ないはずです。
日本と韓国の儒教の取り入れかたは全くことなるもので、韓国では中国同様、父系の宗族を
親族組織としてもっており、それは儒教の「礼」の行動規範と合わせて精神と実生活の中に儒
教の行動規範を入り込ませ、儒教は人間心理と社会の中に血肉として構造化しています。
日本は、全体としては緩やかな結びつきの親族組織を持っているだけで、一時的に戦前法的
な「家制度」のもとで人工的な結束がありましたが、それとて東アジア儒教圏の父系宗族とは
質的に異なっており、終戦後の民法改正に伴い「家制度」はあっさり消えていきました。
江戸時代の日本人の儒教理解は宗族・行動規範(礼)抜きの倫理・道徳の範囲で試みられた
に過ぎず、しかも本場から見ればかなり異端な日本的解釈によって理解されていたのです。
様々な経済指標は時代の流れとともに新しく追加されたり改廃されたりして変化してきたし
、様々な経済統計のとり方も変化してきました。だから、戦前と戦後の国民経済面での正確な
比較は難しいのです。しかし、一応「55年は一人あたりGNPが戦前の水準を回復した年であり
、『経済白書』が「もはや<戦後>ではない」とした年であった。」とされています。
http://ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/ou/2nian6.html
さらに、50年代のほうが日本の人口は多いとはいえ、戦前は朝鮮・台湾は日本でしたので
その住民の生産額やそこでの近代化のことも考慮に入れなければなりません。また、満州での
日本の企業活動や鉄道・ダムなどのインフラ整備のことも加えれば、30年代の日本の経済力
はなかなかのものだったのではないでしょうか。
私以外の人も問題にしていますが、戦時中に幼少期を過ごした人たちと戦時中に青年期以降
に達していた人々とでは、「戦前という時代」に対する態度や発言がかなりことなることが多
いのです。
戦時中に幼少期を過ごした人々は、戦前を知っているわけはないのにわけ知り顔で戦前がい
かにひどい暗黒の時代であったかを断言し、それを狂気の時代として批判することが多いので
す。戦時中に青年期以降の人々はこういう言い方をしません。ちなみに私は平等主義・農地改
革には反対ですし、国の豊かさは生産額の大きさや生活の機械化では測れないと思っています
。
戦前は、日本は今よりも自由市場経済的で、しかも地主が小作農を雇っているのが一般的だ
ったわけですから、村役場がお百姓さんの娘の身売りを斡旋するような悲劇がおきたのは統治
者やら制度が特に道を外れたおかしなものだったからではありません。当時の世界経済・政治
の標準はそんなものでした。
アメリカでも世界大恐慌の時は多くの労働者やその家族が路頭に迷い、飢えや貧困に苦しん
だものです。
戦前に対する戦後国民の欺瞞的な認識については、「国民と軍部の対立」物語というものも
あります。戦前の日本大衆はマスコミと一緒になって抑圧的雰囲気を作り出し、軍事行為を海
外で推し進め拡大するように(しばしば暴力的実力行為やデマ報道をもって)軍部を煽り立て
脅迫したという事実は有名な話です。
田原総一郎はついこの間までその話を信じられず、実際に自分で調べてみてはっきりと事実
だと確認したのです。
『戦前の日本の大衆と戦争』
書記長 日時 2002 年 10 月 08 日 17:02:18:
http://www.asyura.com/2002/dispute3/msg/164.html
『歴史認識をめぐって』 投稿者 書記長 日時 2002 年 8 月 25 日 19:47:19:
http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/339.html
戦前の「大日本帝国」は日本社会で自生した独立国家・文明であるから、そのことだけで現
在の「犬日本帯国」よりもずっと「我々にとって上等な・価値のある」社会なのです。
独立国が従属国より国家としては質的にはるかに上であることはあたり前なのです。奴隷・
家畜の国民よりも自由人・主人の国民のほうが良いといのは私の意見の前提なのです。
価値観・文明においても、他国のものを押し付けられたり、それに参加させられるのは嫌な
のです。人間として他国の他文明に編入されることになり、それは自己と祖先の固有の存在様
式と人格を他者から否定されたあげく自分でもそれを認めることになるからです。人類文明の
多様性が失われるので人類史的な損失でもあります。
それにもともと私は日本の古来からの文明・伝統を高く評価しているのでそれが失われてい
くのは残念であり、それに連なることのほうに価値を見出しているのです。これも私の意見の
前提なのです。
だから、大日本帝国がいかに多くの問題点を抱えていたとしても、多くの失敗があったとし
ても、また他国と同様に悪いことをしたことがあっても、本物の自生日本であり独立国である
ので、戦後のアメリカ製従属日本よりも比較にならないぐらいに国家としてはずっと上等なの
です。
我々はとりあえず1945年8月15日以前に精神的に回帰してのち、新たな発展をとげる
べきだと私は思うのです。なぜ回帰するのかというと、日本の社会・文明の歴史的な継承性と
正当性の流れが全体としてそこで止まっているからです。価値観の体系も権威の体系も自律的
な変化・発展はそこで止まっているからです。
我々は天皇制を真に昇華させねばなりません。私の見るところ皇室にかかる人権侵害も甚だ
しい職務と責任の重圧は戦後さらにひどくなっています。皇室をひどい監視と束縛から開放し
てあげなくはなりません。
それは日本国民の真の皇室からの自立でもあります。実権のない名目上の立憲君主制の王室
の立場になってもらって、宗教的行事は今まで通りきちんと行ってもらうということでよいの
ではないでしょうか。その後どうなっていくかは日本社会と皇室が話し合って決めていくべき
ことです。
軍事占領下での独立性を欠いた状況で成立した「日本国憲法」は法的に無効であり、正当性
の根拠がアメリカの力と支配にあるものです。日本の歴史・伝統・社会に正当性と権威の根拠
をもたないニセものです。
現実的には帝国憲法の一時的復活も無理だろうから、とりあえず現行の憲法を停止して一時
的にイギリス流の慣例の集積としての不文憲法体制にもっていくことが望ましいと思います。
そうすれば現行の憲法のいいところも、帝国憲法もそれ以前の大宝律令等も生かせるはずです
。
新たに憲法をつくり直そうとするならば文字通りの「神学論争」からはじめなければならな
いのですが、今のほとんどの日本人にその必要性の意味はわからないでしょう。たぶん最大限
に市民の安全財産自由を高める機能を果たす規定集を作るための「技術論」から優先的に始め
るので駄目です。
またそうして出来上がるものはアメリカニズムの上澄みと最近流行のいくつかのきれいごと
のフレーズを根拠不明の「人権」で無理やり不整合に合体させた程度の安っぽいものである可
能性が大です。
本当は「人権」という言葉の意味とか妥当性すら日本の歴史と伝統を考慮した上で十分に哲
学・神学論争して定めなければならないのです。
国民経済において我々が今追求するべきことは、日本型社会主義をより発展させることなの
です。国家社会主義はソ連型共産主義にも似ていますが、むしろ戦後日本の経済体制に近いよ
うです。そしてその「日本型社会主義」は大成功だったのであり、それを破壊しようとする構
造改革派に代表されるような「英米系の新自由競争市場主義者」こそが日本経済をダメにして
いるのです。日本は「日本型社会主義」路線を回復し維持発展させていくべきなのです。
そもそも日本の社会主義体質は、戦前戦中のファシストと革新官僚による統制経済、米占領
下のニューディーラーたちの実験的社会主義政策、満州で培われたゴスプラン的計画経済によ
る戦後の傾斜生産方式と高度成長、田中角栄の地方改造・地価の吊り上げ・雇用の創出の角栄
社会主義、と連綿と続くものです。
普通の先進国では失業率10%とかが常態であり、貧しいひとは本当に貧しいのです。日本
は無理やり国が税金を使って仕事を作ってやったり、大量の生産物商品を直接または間接に買
っているのです。
日本経済はもうそうした政府の大規模な財政出動を組み込んだ構造になってしまっているの
で、今急激にそれをやめるわけにはいきません。底なしの不況サイクルにはまってしまいます
。変えるんだったら50年かけて変えるべきであって、急いで変えてしまったら百害あって一
利なしなのです。
ソヴィエト崩壊後にロシアで起こってきたことを見ればわかるように、それまでのある社会
の資源・商品・貨幣の交換・分配システムの諸条件を突然変更させてしまうとたいへんなこと
になるのです。それは国民経済全体を不必要な混乱と低迷の中に諸産業間の生産連関のバラン
スの崩壊と経済の縮小サイクルと被害の連鎖的拡大によって陥れていくのです。そしてなかな
か浮かび上がってはこないのです。
日本の「構造改革」はソヴィエトの経済自由化と類似した効果があると思います。
今は将来の「改革」のためにも景気対策に専念するべきでしょう。どうせ今のままでも財政
再建の見通しが立たないとか、思い切った手段しか残されていないのだったら、なおさら景気
対策に専念して突破口を切り開くしかないはずです。改革というものは時期と状況を考慮して
時間をかけて慎重にやらないと不必要な混乱と苦しみを引き起こすものです。
『構造改革〜いくら財務官僚の話を聞いてもおかしいものはおかしい』
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/260.html
投稿者 書記長 日時 2003 年 6 月 14 日 18:31:20:
だいたい、歴史上の大国(アメリカも含む)でまともに財政問題を解決した例なんてほとん
どないでしょう。大戦争や社会革命でうやむやになった例のほうが多いのではないですか。「
政府通貨」ぐらいでなんとかなるのだったらマシなほうでしょう。
国家の経済運営を箪笥の金の出入りに一喜一憂するケチばあさんのような感覚で行うほうが
不健全だと思います。所詮経済も貨幣も社会運営という政治の道具とかルールにすぎないので
すから。
自民党の代議士が均衡財政にこだわらないのは、経済問題が社会問題であり、社会問題は金
の問題ではないというある種の「逆説」をよく理解しているからだと思います。政治は財政問
題を国民の支持と社会の力によって政治的に解決するべきです。だから安定した強力な社会を
残せるのなら自民党政治は成功したことになりますし、財政問題も世界に先駆けて解決できる
はずです。
『「アメリカ殺し」による人類の解放と発展』
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/187.html
投稿者 書記長 日時 2003 年 6 月 07 日 19:26:42: