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如往さんこんばんは。
私と英霊の接点が少ない事にリアリティがないとの見解について。
私は、神田界隈がカルチェラタンであった頃より、次の世代に属しています。所謂、新人類世代と称された世代に属しております。私の世代では、もはや父親や兄弟が英霊であった世代よりは一世代後です。せいぜい叔父伯父が戦地で英霊になた世代です。私の回りでは、戦後教育の徹底で、戦地で死んだ兵士に対する尊敬や感謝はなかった。日教組の社会科の教師達に、日本軍は戦地で悪辣な蛮行を働いた帝国主義の尖兵として教えられ、教育を受けてきた。父も日教組で、共産党に出入りし、朝日新聞と赤旗を購読していました。
如往さんの観察は当たっています。私は子供の頃、左翼思想が何であるか考えもせず、社会主義が正義と信じ、なにも分からずして無知なまま、左翼思想にかぶれた中学生であった。私も、その転向組と偉そうな部類にも入らないが、にある意味では入るかもしれない。無意識にアメリカのネオコンの意見を理解弁護する言説をする理由もこれかもしれない。
社会人になった頃自分の好むと好まざるに関係なく、社会の歯車、企業戦士として経済戦争の最前線で生きるの死ぬのといった日常を過ごしていた。そんな時に、ガダルカナルで軍属として従軍した人や、中国での諜報活動などをいろいろと語ってくれた方、インパールの最前線の昔話を語る、旧日本軍兵士の古老達と出会う機会があった。自分が興味がある事を知ると、嬉々としてリアルな戦場の話を随分語ってくれたものだった。
最近はそんな昔話を語ってくれた、旧日本軍の兵士の生き残りの方も、鬼籍に入られる方が多くなり、お話を聞く機会も減りました。
もし40年早く生れていたら、自分も多分最前線に立っていたろうことを悟った。戦地で無謀な参謀の無責任な作戦で命を落とした人々と、アホな経営者の無責任な経営方針に日夜奮闘する自分を重ね合わせて考えるようになた。無責任な命令でも、今の自分はそれでも死ぬ事はないが、英霊達は違う、彼らの無念は痛いほど感ずるようになった。
母親が遺族会に勤めていた事、大伯父達の戦犯としての死、自分の英霊との関わりはこのようなものです、それでもリアリティがないとされると、勝手にしろと思うばかりです。
蛇足ですが、自分の前世は、戦場に散った人間のような気がするのです。その前世、戦国時代には、マア足軽かせいぜい侍大将だったのではないか?いつも最前線の修羅場を踏む方の人間であったと時々感じるのです。