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(回答先: あっしら天皇論文批評−1 投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 18 日 01:00:25)
Ddogさん、こんばんわ。
近代国家日本及び「近代」の歴史と現在を問い直すキーワードとして「敗戦責任問題」を提起したのであり、天皇制の是非を直接俎上に乗せたわけではありません。
現在及び将来における天皇制の是非や在り様も、「敗戦責任問題」論議を経て落とし所の合意が得られると考えています。
Ddogさんが言われるような内容で合意で得られるとしても、極めて重要な時代(明治維新以降占領期まで)がなかったかのように処理されるのではなく、「敗戦責任問題」の国民的論議を媒介としなければならないというものです。
再びあれこれ書くのは避け、1点だけ触れたいと思います。
Ddogさんが降伏の受け入れ決断などをもって昭和天皇の罪や責任を問おうとすること自体がおかしいと言い切ることに強い違和感を抱いています。
法的に主権者であり統帥権を直接掌握していた天皇に「敗戦責任」がないどこか問うこと自体が論外という主張は、日本が国家や共同体といった統治体のかたちをなしておらず、ニューマ(空気)の流れで揺れ動く存在でしかなかったと言うに等しいものだと思われます。
そうだったという考えも排除しませんが、そうではないという体裁を整えた国家のふりをし、結果として300万人もの国民が犠牲になり、外国の占領支配を長期にわたって受けたのですから、その国家を継承している現在、それはそれでそうなってしまった責任を問わなければなりません。
Ddogさんは、「もし、昭和天皇が、終戦後「ごめんなさい」と国民に向かい陳謝して、敗戦責任はすべて私の責任ですと認めたらどうだったでしょうか?」と問われ、「敗戦責任を認めたら、全てが破壊された日本は混乱を極め、更なる悲劇を齎し、復興の芽をつんでしまったに違いない。」と説明されています。
昭和天皇が戦後に「ごめんなさい」を表明したからといって、言われるような結果になるとは思えません。
逆に、きちんとした内容で責任表明をしたほうが、占領支配で起きた価値観の転倒から生じ現在にまで通じる“混迷”を抑制したと推測します。
(占領期の左翼運動やここで展開されている天皇責任問題も穏やかなものになったでしょうし、英霊問題も、股裂き的な扱いを受けるがなかったはずです)
ここで明確にしておきたいのは、統治者が「ごめんなさい」ということが「敗戦責任問題」の要点ではありません。
責任ある統治者であれば国民に対してこう考えて正しい判断を行なったと戦後も主張し、一般国民は、そうではなくこう考えこう判断すると主張する過程を通じて論議が深められると考えています。
※ 蛇足
>Ddog まず順番に疑問点を書きます。自分の考えなく、ただ、あっしらさんを盲
>信している方にはまた批判されそうですね。最近の私の投稿に対する反論は、あっし
>ら論文ハ神聖ニシテ侵サズ的な発想で書かれているので、あっしらさんの意見は意見
>として承っているが、ここもとのいきさつで、批評することになった。
このような表明は蛇足だと思います。