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(回答先: なぜ、昭和天皇の戦争責任はないか。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 17 日 00:14:14)
Ddogさん、簡単なレスポンスです。
先ず、何故氏も同じことを繰り返されるのでしょうか。敗戦責任と天皇に関しては、氏が展開されているような内容(歴史認識)を十分踏まえた上で、あっしら氏がその問題の構造を明快に解き明かしています。あっしら氏の投稿にたいしDdog氏がどのような論評をされていたのか、私の過去ログ検索では発見できませんでしたが、不明なる部分はご指摘願います。
何れにしても、最早メイン・イシューが単に天皇の戦争責任を問うものでないところに帰着しているのは明白ではないでしょうか。実を申しますと、近頃では書記長氏も天皇への思慕を私事と弁え心奥に留めつつ、しかも足掻き苦しみ遠吠えとの揶揄も覚悟しながら、それでも英米に抗するべく対抗軸を模索し続けている姿に感服し密かに支持もしています。何故なら、それこそが戦中・戦後生まれの人間達が敗戦責任を引き受けようと真摯に過去を贖っていこうとする一聯の人間的な当為であると考えるからに外なりません。しかし、それは想像以上に日本人の精神構造の根本的な変革を伴うものであると思料しています。
ところで、「私と英霊の接点」について拝受いたしました。ありがとうございます。
そして、ほぼ同時に詩人吉本隆明の初期詩集『固有時との対話』を想い起しました。ご存知の通り吉本隆明は全共闘世代の精神的支柱とされた人物で、当時私も、『共同幻想論』はじめ何点かを読み漁ったものです。けれども、彼が原初的に受け止めていたものが本当は別にあったことを知ったのは、ずっと後に『固有時との対話』や『転位のための十篇』に触れたときでした。
当然の如く軍国教育を受けた彼は東工大生として終戦を迎えますが、累々たる屍とその影なる死者達の相貌を現前にして、価値観の転倒を余儀なくされるのと同様にその意味を附合させようと苦闘します。すなわち、彼等の死(英霊)は生者が価値観を転倒するためにあったのか、それならば生者は如何にして引き受けるべきか、そのような自問自答がその後の詩作活動を導いていくわけです。けれども、今になっても彼が個別的生としてどのように決着させているのか、私は判断がつきかねています。
Ddog氏が英霊との結節点を何に依拠して見出そうとしているかは明らかであり、できれば理解したいと思いますが、惜しむらくはリアリティーの乏しさは免れ得ないと見ています。それを圧して論を進めようすることには相当な無理があるとも考えています。
(余談になりますが、私は石原莞爾の隠れファンです。ドイツ留学によって見聞し覚ったものが土台になり、やがて米国との最終決戦の当事国として日本を対置させることになるのですが、その無謀さ加減はともかく気概は天晴れであったと思っています。私にとって東京裁判史観の転換は病床での石原莞爾にたいする事情聴取の内容が切っ掛けになりました。それにしても、後半生は不遇でした。)
以上です。