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(回答先: Re: 各種の理由からしてそれはおおかたはずれてはいないのではないかと推察されるのですが、もう少し詳しく事情を知りたいですね。 投稿者 東北人 日時 2003 年 6 月 16 日 00:56:47)
別に自慢する訳では無いのですが、地元である京都の人間が天皇や公家衆、そして比叡山や東寺のような寺の僧侶達をどう見ていたか。言葉で説明するのはちょっと難しいです。
「東京の文化」とは違う「江戸っ子気質」ついて地方の道府県の人達に説明するようなものですね。
昔から、
「京都にはお寺の数だけ菓子屋がある」
と言われ、有名な神社仏閣の指定商店になることで売上げを確保しようとしていました。
西陣織や和菓子、お茶、お香など京都は「文化(=京都ブランド)」を商売のネタにしていましたから、天皇について、政治的な権力は無くても商売をする上での「利用価値」は充分知っていました。
京都人の天皇に対する意識は、この掲示板に参加しておられる人達のような観念的なものではなく極めて実利的なものです。
一方私の先祖が代々住んでいた丹波は、ちょうどスタジアムの観客席のような位置にあります。山の上から京都の町を見おろして英雄たちの戦争を見物し、逃げて来る人があれば保護し、時には酒呑童子のように場外から参加する。そんな生活をしていました。また江戸時代は皇室直轄地であったことから特権が認められていたため
(同時に徳川幕府は現在の亀岡市に親藩を置き、天皇家を必要以上に援助しないよう監視していた)
「なんかあった時はワシラが助けにいかにゃならん」
と、天皇家を尊重する気風があったようです。観念的、実利的というより心情的なものでしょうか。
京都以外の地域での江戸時代における皇室についての認識は、貴兄が解説された通りで正しいかと思います。
出典は不明なのですが、維新後に明治政府が国内全域の児童に対して意識調査を行ったところ、一番偉い人は「旧藩の殿様」で二番目は「オイナリサン」だったそうです。
さて、最後に。私は天皇制は認めますが天皇の権力は認めません。
もし天皇が「政治をやりたい」と言い出したら。
「国民に対する謀反である」
としてその天皇を引きずりおろし、別の皇族を天皇につけます。