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(回答先: 昭和天皇は、「自分自身の不徳のするところ」を当然感じておられました。しかし、自らの発言で政治が混乱することも悟っておられたと思います。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 16 日 00:58:01)
Ddogさん、初めまして。横レスにて失礼します。
いつも、「株」コンシャスネスを基調にした氏の経済展望を楽しみに拝読させていただいております。
さて、これまでの拙稿の内容から、私が不明瞭ながらもどんな立場をとっているかは推測していただけると思っています。そして、天皇の歴史的役割は終焉しているという認識や徒に天皇を中心に据えるような世界観への回帰を助長することに至っては日本人の精神的退行を招来し日本人の自立を阻害しかねないとの懸念からアンチ天皇擁護論であるとは、過去のスレッド(特に「たこですさん」との遣り取り」)でも公言(?)している通りです。
60年代後期の同時代性にある友人達の中にもその後は天皇擁護にシフトしていった者が散見されますし、それ以前の所謂60年安保世代では懐古的な面持ちで天皇制にconversionしていった人達も少なくなかったようです。人々に共通するのは、或る種の「想い込み」を発生とする指向性、ないしは信仰心の萌芽があったのだろうと推量しています。信仰心はある人間にとっては不要であるかも知れませんが、片やある人間にとっては格別に重要であるかも知れないものです。
つまり、Ddogさんがご自身の信仰心の内に天皇や天皇システムを抱懐しているのであれば、他者が異論を挟む余地は殆どないでしょう。それ故に、「現在の我々は、様々な情報にアクセスすることが可能で、冷静に史実を分析する事が可能なのだ。安易に天皇の戦争責任を言及してほしくはない。 」とのデリケイトな表出になるのは宜なるかなと思います。
以下は雑感を寄せたものですので、もし興が嵩じることがありましたらレスポンスをいただければと考えています。
>ゆばさんへ、先週週刊誌で昭和天皇が、自らの戦争責任について言及した草稿の存在がスクープされました。
>昭和天皇は、自ら感じる、「自分自身の不徳のするところ」は、中国朝鮮一部反日日本人の言う戦争責任と異なることだが、自分の責任は戦災復興を急ぐ国民を激励して回ることで果そうとしたのではなかったかと思います。
週刊誌でもテレビ報道でも、草稿が本当に天皇の発意によるものか詳らかでありませんし、おそらく中立的な立場からの検証が為されることは難しいでしょう。
>昭和21年秋より昭和天皇は、地方巡幸を自らの意志で行いました。そこで、石や卵を投げられるような事は皆無であった。罵倒されたり、暗殺されそうなことは一度も無かった。
巡幸については異説が多々あります。天皇ご自身の発意によるものと断定されていますが、半藤一利あたりの過去の著作を根拠にされているのでしょうか。典拠されたものを教えていだだければ幸いに思います。
>東京裁判史観を持つ人間は一般に真面目な人間が多い。しかしいい加減、東京裁判史観は捨てて欲しいものだ。
私も至極真面目にパル判事が書に著した経緯を含めて『パル判決書』を読み、日本に紹介した田中明彦氏の研究を参照した結果として、所謂一般に云われている東京裁判史観にはありません。ただし、下世話な言い方をすると、極東軍事裁判は未成年者を成人法で裁断したのに等しい不当なものであるとの認識に到っています。しかし同時に、日本人の近代的自我の未成熟性が露呈されたことに慨嘆を禁じ得ませんでした。
>この阿修羅板は茶の間の正義感で、英霊達の犠牲を軽々しく侮辱するようなこと(天皇が断罪されるような行為をしたと、戦勝国の論理を認める言動)が多く、無限にモグラ叩きをやっているようで、いいかげん疲れます。
私は、あっしら氏の投稿:『「敗戦責任」と天皇[その1]http://www.asyura.com/2003/dispute5/msg/110.html』、『「敗戦責任」と天皇−インターミッション−[その2]http://www.asyura.com/2003/dispute5/msg/194.html』の見解を支持し、それらをテキストに論を進めることは、戦後生まれの我々にとって、例えば天皇擁護をも包摂したメルクマールを打ち立てる上でも有益であろうと見ています。Ddogさんにも是非、再度論考を加えていただければと考える次第です。
>国家の生存の為には、国というグループが成立して以来、人類は絶えず苦闘してきた。ところが、茶の間の正義感を振り回し、天下国家を語る輩は、未だに天皇の戦争責任を言い続けている。マッカーサーですら、朝鮮戦争の最高司令官解任後、太平洋戦争は、日本にとって防衛戦争であったと認めた。
>もし、日本が明治維新後、有色人種として、初めて、列強に伍する近代国家を作らなければ、今頃どうなっていたか?そして、近代国家の宿命として、国家として競争し生存する選択を主権国家として選択する以外なかったと思う。
以上の点について、ここで逐次的に反証を付する考えはないのですが、天皇擁護論者の面々が一様に同じようなアジテーションを繰り返すに留まることが不可解でなりません。当時、軍人であり現実に戦闘をしたことがある人が、上記のような歴史認識に立脚点を追尾し模索しようするのは人間的所作として十分認容できることです。しかし、戦後も一貫して天皇擁護と戦前の帝国主義政策の正当性を提唱している者達の大半は、応分の戦闘意識もなく内地勤務のまま戦闘を摺り抜け戦間期を遣り過ごした元軍人とその受益者達です。実業家の意識はまた別物ですから埒外でしょう。
私は学徒動員の帰還者による天皇擁護論か、それ以前の学卒で応召した人達の天皇擁護論でない限り、論考に値するリアリティーはないものと捉えていますので、戦中・戦後生まれの人達による天皇に関する言説が空疎な「想い込み」の為せる業としか映らないのです。
ところで、Ddogさんは英霊達と具体的にどんな接点を有するのでしょう。天皇という媒介項によってでしょうか。それは如何にしてリアルなのでしょうか。
この辺で失礼します。