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(回答先: Re: ホツマツタエはどう?古事記や日本書記は蘇我氏等の豪族の都合で歴史を婉曲か? 投稿者 研究しる 日時 2003 年 6 月 14 日 01:39:14)
ホツマ文字
先日はハングルの由来について書きましたが、それは対馬に伝わる阿比留文字が元ではないかと書きました。神代文字を調べるとその中にホツマ文字で書かれた「ホツマツタへ」という世界最古の古典が日本に存在することがわかった。それは「古事記」「日本書紀」の原点になったと推測される。
日本の学界では「秀真伝」は「古事記」「日本書紀」を元に作られた偽書だとされている。「秀真伝」は完全な七五調で書かれているのに対して、「古事記」日本書紀」はかなり崩れてしまっている。これは「秀真伝」が口承で謡いやすく書かれたもので、途中で漢語訳で書かれたものを原典に記紀が書かれたのだろう。
内容についても馬野氏が指摘するように「秀真伝」も権力者の焚書坑儒に遭い、ほとんどの原典が消失した。蘇我氏や秦氏などの都合が良いように歴史が改竄されたのだ。外来の宗教や種族が、天皇の由来を曖昧にしてそれまでの歴史を作り変えてしまった。その伝統は今でも続いているようだ。
日本に学会は神代文字を認めず、「秀真伝」や「竹内文書」などの古代の文献を認めないのはなぜなのだろう。阿比留文字にしても石碑や神鏡等の物的な証拠も残されているにもかかわらず、学術的に触れることはタブーとなってしまっている。「秀真伝」も偽作の一言で片付けられている。
しかし内容から検討してみれば江戸時代の偽作とするには無理がある。それらは在野の研究者からいろいろ指摘されているが、学会は取り上げようとしない。この事は戦後のGHQによって東京裁判史観を国民に植え付けていることと同じ事であり、東京裁判も歴史の改竄の一種である。
最近において縄文時代の遺跡が発掘されているが、巨大建築物の跡や遺物などは今までの縄文文化の学説を覆すものだ。弥生時代を500年も前にずらしたり、最近の古代史学会は混乱している。それにもかかわらず記紀や魏志倭人伝にこだわり続けるのは馬鹿げている。「秘められた日本古代史ホツマツタへ」にはこのように指摘している。
古事記、日本書紀の記述では、この戦闘で神武天皇に敵対しているのは、ナガスネヒコと彼の奉ずる主将ニギハヤヒ〜中略〜なのは言うまでもありませんが、その点はホツマツタヘでも同じで、「ニギハヤヒ」がそれに当たります。「サスラ男」とは流離ふ男の意味であり、もちろん天照大神の弟のソサノヲノ命〜中略〜のことを指します。そしてホツマツタヘの記載では、同命が悪業の限りを尽くして放逐されるのは古事記、日本書紀と同様です。この放逐されることが即ち「下民」に落されることと同じ意味になるのですが、このことが古事記、日本書紀の記事にはないのです。古事記や日本書紀に出ないソサノヲノ命についてこの他にも多くの記述がホツマツタヘには記されており、今は略しますが、一言付け加えておきたいのは、ソサノヲノ命は後に悔い改めて天朝に復帰することになるということです。
「秘められた日本古代史 ホツマツタへ」http://simasiba.hp.infoseek.co.jp/hotuma-sinsyo01.htm
ホツマツタへについてのホームページhttp://simasiba.hp.infoseek.co.jp/hotuma-ni-tuite.htm
このように記紀ではソサノヲノ命の話があちこち省かれたらしい。そのために解釈に無理が出てくるが、ホツマツタへでは「かけことば」として意味が通ずる例をあげている。さらに神代文字は五母音で、平安時代に八母音から五母音に変わったと学会では定説とされている。だから神代文字は五母音だから、神代文字で書かれたホツマツタへは平安以降のものという学説ですが、渡来人によって漢字を国語化する際に一時的に八母音なったらしい。
古代において日本人はどのような言葉を話していたのか。民族が変わってなければ今と同じ五母音だったと考えられる。中国からの渡来人が日本語を八母音として聞いていたからと見るべきだろう。だから邪馬台国を「ヤマタイコク」と「ヤマトコク」と混乱するのだ。だから魏志倭人伝の昔から大和国として天皇の支配する国家だったと考えるのが自然だ。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu48.htm