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(回答先: Re: Re:馬野氏のフプロフィール 投稿者 ビルダーバーグ 日時 2003 年 6 月 13 日 11:40:23)
家族がキリスト教で、キリスト教徒として育て、長じて現在はキリスト教を離れ、それを徹底して批判しているアメリカ人の親友(黒人)の話によると、理性では聖書に書かれている悪魔など存在しないと、理念的決別できている現在でも、意識の深いところで「悪魔」への恐怖が残っていると率直に語ってくれたとき、痛々しい思いをすると同時に、幼少期の刷り込みというのは、脱落させることが困難で、かつ判断をゆがめさしてしまうことがあるのだなあ、とつくづく思いました。悪魔に対する、いわくいいがたいある種の恐怖感を生涯拭うをことは困難な可能性があるとも告白していました。馬野周二さん、清水さん、前野さんたちの熱烈な天皇崇拝には激しい幼少期洗脳の典型をみます。西洋批判はよいところをついていますが、対抗軸が無条件の天皇崇拝ですから、とてもついていけません。
天皇崇拝の時代環境と無関係で育った自分はほんとにラッキーだったと思います。天皇に一片たりとも何の思い入れもない自分、心情投影がない、なんとも思わない自分が本当にありがたいと思っています。関心は、人間とは何か。生命とはなにか。精神(spirit)とは何かといった問題に、1万倍ぐらい関心があります。生命や、spiritのことを考えるとき、天皇制度などというのはこの世の塵芥だとつくづく思います。こんな皮相的なものに思いを入れることができる、崇敬できるという人の安っぽさは理解を超えています。私は自分を生かしてくれている究極の次元のものに畏敬と崇敬の念をはらうことはできますが、天皇が私を生かしてくれているわけではなく、天皇家の連中も、この究極の次元によって生かされている存在でその意味で、私と同一レベルのものにずぎず、彼らに頭を下げろとか、国家元首としてみとめろとか(外務省は対外的には天皇を国家元首と説明している)言われて、はいそうですか、なんてとてもいえない。
悪いけど天皇崇拝者は総じて深い形而上的思考力と程遠い、俗物。通俗だけが標準になっている底の浅い人々だと思ってます。人生や生命の深い掘り込みとは無縁。世間がグッチがいいって言っているから、グッチを買って人に自慢して喜色満面になっている人物像しか思い描けません。世間が不倫しているから、自分も不倫してみよう、で、自分も不倫できた、ああうれしい、どうだ、俺も不倫なるものやったぞといった程度。うちにも天皇って言う偉いお方がおわします、どうだ!って程度。実際、渡辺昇一の思想遍歴を読んでいたら、自分が海外に始めて出たときにコンプレックスを感じた、それを埋めて対抗する軸として、天皇を持ち出すことを思いついたという彼の文章を見て、なんてこの日と安っぽい人かと思った。グッチを身に着けていない自分に気後れコンプレックスを感じている、だから、グッチを買う。その感覚とまったく差がない。
永遠の生命を持たない、時代環境の産物(時間と空間)に拘束され、いつか消滅が定められているある意味でミゼラブルな次元の存在に崇敬を表明する安っぽさ皮相さに耐えられない。馬鹿げている。人生と直面することを避けて、表面的なものをものにつかまって、ごまかし人生を生きているだけ。
馬野周二氏などのあまりのスノッブさに心底耐えられない。人格崇拝の洗脳は人間をいかに俗物にするか。その悲惨な例が彼らだ。