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(回答先: 巌頭の感 投稿者 ! 日時 2003 年 6 月 10 日 11:27:07)
「不可解」であるのは当たり前なことであり、殊更表明すべきことではないように思います。彼はこのへんに弱さがあったのかもしれません。とはいえ、本人の心情など他がすべて推し計ることなどできない故、また精神医学でいう「うつ病」であったかもしれず、これは単なる無責任な感想にすぎません。
「不可解」なものを解析、分析し、少しづつ自分が知る世界を広げていくのが現実だと思います。どんな偉人、才人でも、この世のすべてを知り(認識)尽して死ぬことはないと思います。そもそも、この世の森羅万象のすべてを知る(情報)ことすら人には物理的に不可能です。一をもって十を知る(認識)とはいっても、こころもとないことでしょう。
「人間はなんのために生きているのか」がわかる人はいないのではないでしょうか。
自分にはわかっている、という人でも、それが何かを目標とする種類のものであったなら、その目標が達成された時には「理由」が変わってしまうだろうし(でなければ死ぬことになりますが)、達成できない目標を設定している場合でも「達成できない」というだけで同じ範疇のものであると思われます。
しかし、僕はこういう問い自体は必要なものであるような気がします。人間が人間であるためには、人間として生きてゆくためにはです。