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(回答先: 西洋世界は物質主義というより「物質とスピリチュアリティー」の分離的対立 投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 08 日 15:49:37)
>彼ら権力エリートが目指しているのは徹底した独裁だよ。現状の民主主義すら、維持
>する気はまったくないんだよ。目指すは超少数のエリート権力体制以外の何物でもな
>い。米憲法に宣言されている、万人平等の思想は風前の灯火なんだよ。物質主義の病
>理が頂点に達しているってこと。わかってよね。
不謹慎な言い方になりますが、この期(「近代」の終焉過程)に及んだら、目に見えるかたちで「超少数のエリート権力体制」を志向して欲しいと思っています。
そのような現実を目の当たりにして、人々がどう考えどう行動するかが見えるからです。
しかし、狡猾で知略には長けている世界支配層が、そのような危険を犯すとは思えません。
権力エリートは、現状の虚構ないし信仰対象の民主主義をベースにした独裁を目指している(実現している)と考えています。
剥き出しの支配−隷属の関係や独裁は、余計で面倒な軋轢を生み出すだけで、効率的な独裁にとっては不利益です。
語り口が微妙に違う複数の政治勢力を選択肢として提示し、自分たちが選択した者たちが政治権力を動かしているという幻想を人々に与えるほうが独裁を合理的に進められ、国策を誤っても、究極的責任は自分たちを選択した主権者=国民にあると居直ることができます。
「米憲法に宣言されている、万人平等の思想」は、法の適用という抽象的な平等概念ですから、虚構の民主制度を維持するためにも、消失させることはないと考えています。
「超少数のエリート権力体制」が生まれるとしたら、不満を増大させた非支配層の熱望によるものだろうと思っています。
それも支配層のシナリオとしてそうなる可能性が大ですが、権力エリートが押し付けるのではなく、非支配層の多数派が熱狂的に“帝政”や“一党独裁”を迎え入れるかたちで実現されるはずです。
将来的にはその可能性はあるでしょうが、今、支配層はそのための準備作りをしていると思います。支配層としては、将来大衆が独裁主義を熱望するようになったとしても、不満が言える民主政治からスムーズに不満が言えない独裁政治に移行するために、前準備をしておかなくてはなりません。ですから、支配層にとっては有事法制はそのためにこそ必要なのであって、民衆は一人の消防士、一つの医療機関を守るためには、こちら側から対抗的な有事案を提案していかなければならないと思います。小泉や石原や安部や亀井が今すぐ独裁者になる訳ではありませんが、彼らには国民に独裁政治を受け入れる精神的前準備をさせる任務がある。支配層にも現状では親米・親中朝・親イスラムと言った対立関係がある。同じ支配層でも、亀井・川口・野中・古賀ら親中ゼネコン派と小泉・安部・竹中ら親米ネオコン派の利害が一致せぬ限り、ファシズム体制はできないのです。大衆が熱望してファッショ体制が完成した頃には、支配層の意見はほぼ一致していると見ています。