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(回答先: マルキシズム Vs. アナーキズムや「最終決戦」について 投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 05 日 23:19:47)
あっしらさんへ、いつも明快なる回答を有り難うございます。
ところで、『<帝国>』と同時並行的に、真木悠介著『時間の比較社会学』(岩波書店1981年)を読み返していたことが、今回の投稿の動機にもなったのですが、少し引用させていただくと、
「人類史の過去である即時的共同態と、その解体である市民社会とのあとに、それらをともにのりこえる世界がきりひらかれうるとすれば、それはただ、<現にある>世界の事実性からも<現にあった>世界の事実性からも解き放たれた主体たちによる、彼らが<今だない>あり方のうちに(あるいは<あったはずの>あり方のうちに)、根拠をおく想像力を媒介としてしてかありえないだろうからだ。
内在するロマンティシズムのレアリズムにたいし、それはふたたび、超越するロマンティシズムのレアリズムである。
そしてこのような<ロマンティシズムのレアリズム>だけが、今われわれの現実に生きる世界の中で、根を求めながら翼を求める近代的自我の、本源的な時間意識のあり方なのだ。」(p.238)
真木悠介(見田宗介)をご存知かどうかは別にして、あっしら氏が嘗て世界史や日本史の中に「根」を求めて来られたことは数多の論考に十分その足跡を見て取れます。しかし同時に、其々の固有の根は発見できず、それでも辛うじて西欧的近代システムの中に、「翼」すなわちファントムの相貌を穿とうとしているのではと見ています。(実はそんなことも疾うに遺棄されているのかも知れません?)
しかしながら、既に歴史修正主義やマルシキシズムは根でも翼でもなく、我々は何ら手立てを有しないまま得体の知れないものに遭遇するまでのモラトリアムという果てしない監獄に迷い込んでしまっているようです。その最中でも、あっしら氏が再三指摘されているように民の奴隷化は進行していくのでしょう。
さらに、真木悠介は同書で日本人の<近代化>の底の浅さを指摘してもいます。これはあっしら氏が提起された「敗戦責任問題」を総括できない日本人の未成熟性に二重映しになっていると思います。極東軍事裁判も、国際法上の問題点の提示やパル判決書による擁護論はともかく、傍目には未成年者を成人法で裁断したに等しいことのように心に映じるのはおそらく私だけでありますまい。未だに近代的自我の超克の緒にもついていない日本人が世界情勢に只中において如何なる役割を果たすことができるのか、甚だ不透明です。つまり、またもや自らポジショニングを措定すらできないことを意味し、やはりこれは未決以前の状況を設定して焼き直しをしなければ贖うことができないものなのでしょうか。(これは問いかけではなく、溜息です。)
愚にもつかぬような雑感で失礼しました。