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(回答先: 微温的解決を模索して下さい−お願い 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 6 月 06 日 10:39:46)
すみちゃん、こんばんわ。
タイトルとされた「微温的解決を模索して下さい−お願い」や「総体的な価値観の変化− それを「微温的」に行う方法は何でしょうか?」と書かれていますが、レスの対象になった書き込みのどこかに過激な内容があったでしょうか?
(マルキシズムやアナーキズムなど“過激派”を素材にしていますが、実現化手法ではなく価値観の内容を問題にしており、手法及び価値観とも微温主義で終始しているつもりですが...)
「近代」がその価値観を現実化する経済論理として終焉を迎えようとしている今、先取り的な価値観の浸透ではなく、後追い的な価値観の見直しになると考えています。
(経済論理が近代価値観を瓦解させているのに、近代価値観がリフレッシュされて生き残っているだけではなく逆に肥大化している状況です)
先進諸国では、政治権力を奪取する手法としてボルシェビキ的革命論は無効(不要)となり、アナーキズムのような行動的プロパガンダが“芸術的感動”しか招来しないことがわかっているわけですから、激越な手法は採用したとしても一夜の花火でしかありません。
また、教育制度や主要メディアの強固さから、近代価値観の見直しは、否応なく「微温的」に行うことしかできないというのが現実です。
その一方で、経済(生存条件)の悪化が意図的ではない近代価値観の変化(瓦解)を引き起こす可能性もあります。(現在のところは、「構造改革」を行なえば回復できるという嘘のプロパガンダで瓦解を引き留めています)
非暴力的で過程的なものであれ、「近代」の現在的制度を一部でも覆すためには既存勢力と異なる価値観を持つ新しい勢力が政治権力を奪取する必要があります。
(それが、一時的な手段であるとしても...)
これまでも書いてきましたが、「近代経済システム」を存続させたまま経済的苦境を克服することも経済論理として可能です。
しかし、そのような政策が受け入れられるだけであっても、近代経済の認識変更や近代価値観の一部修正が必要ですから、現実的には新しい政治勢力が必要だと言えます。
(貨幣的富やそれを通じた利息取得に依存している世界経済支配層は打撃を受けます)
今後、近代価値観と「近代経済システム」が融合した世界の存続が多くの人にとって好ましいとは思われない状況が拡大するはずです。
そこでは、疑義や不満が政治的力に結合されないまま、怒りや憎悪として沈殿してしまう可能性も高いと思っています。(支持政党状況や棄権率を考えれば、現実もそれに近いものなのでしょう)
論理に支えられたグランド・デザインを提示したとしても、“優秀な拡声器”を保有している近代派に掻き消されたり嘲笑されるはずですから、生半可なアンチ・テーゼを提示しても胡散霧散してしまうでしょう。
● 「フェニックスの民」
>利益や正義によって説得することはできないと私は思っています(米国政治家クラス
>なら説得で問題ありません)。
> 彼らはフェニックスの民。
> 古代から何度もきらびやかな興隆と、悲惨極まりない滅亡とを繰り返し、
>灰の中からよみがえってきた不死鳥です。
> 自分達の運命は、完全な「支配」と、悲惨極まりない滅亡との二者択一の運
>命にあると信じておられます。」
ドグマと同質である正義とやらで彼らを説得できるとは思いませんが、合目的的な話である利と理では説得できると思っています。
(正義は拠って立つ価値観で異なりますが、目的を現実の諸条件のなかで達成する方法やできるだけ不利益を被らない方法の論議は共通基盤で行なえます)
フェニキア人に限定せず、故地から離散したセム人が継承してきた価値観を保持している人たちを「フェニックスの民」と考えてみます。
(支配層ないし富裕層に限られた話なので、「フェニックスの民」というより「フェニックスの家族」とみたほうがいいのかもしれません。ユダヤ教自体が、ユダヤ人多数派を支配し隷属させるための宗教だと受け止めています)
離散し寄生した「フェニックスの民」にとって、歴史として語られる「きらびやかな興隆と、悲惨極まりない滅亡」も仮現でしかありません。
カルタゴもフェニキア人の植民市国家であり、カルタゴの滅亡はカルタゴ支配層の滅亡ではありません。
彼らの経済的成功が寄生地の興隆として見られ、寄生先の移転がそれまでの寄生地の滅亡として語られているだけです。(非支配層は寄生地の滅亡と運命を共にします)
それは、ヴェネチア、オランダ、UKの栄枯盛衰についてもそのまま適用できるものです。(米国にもそのまま適用できることがまもなくわかるはずです)
そのような性格だからこそ、彼らは不死鳥になり得たし、「自分達の運命は、完全な「支配」と、悲惨極まりない滅亡との二者択一の運命にある」とは考えていないと思っています。(そういう宣伝は行ないますが)
これまでは寄生先を移しながら不死鳥神話を現実化してきたのですが、「世界帝国」が確立すれば、新たな寄生先を選択することはできなくなります。これが、彼らに大きな制約としてのしかかってきます。
また、彼らの力の源泉は、貨幣的富と情報操作(宣伝力)です。
軍事及び治安という生々しい力はそれをベースに雇い入れるもので、彼ら自身が矢面に立つことはありません。(駒として使われている政治的シオニストは「フェニックスの民」ではありません)
> 彼らの先祖を鎮魂しましょう。
> 彼らのために祈りましょう。
> 渇ききった紫色の唇に接吻しましょう。
> まず鎮魂が必要です。
> 説得はその後なら成功します。
鎮魂されるべきは、彼らの先祖ではなく、彼らに寄生された人たちや隷属した人たちだと思っています。
死んだら仏という日本的価値観に抵抗がないので、彼らの先祖の罪を問う気はありません。
彼らが彼らの先祖を鎮魂したいのなら、彼らの歴史過程を公表するのがいちばんだと思います。
限られた史料と貧困な想像力で彼らの歴史過程をあれこれ語るよりもずっといいはずです。
> しかし、悪魔には二つの相貌があることを忘れてはなりません。
> 一つの顔は、人類の愚劣を諦観するルシファーの顔。
> もう一つは、人類の獣性への憎しみと恨みに満ちたサタンの顔です。
彼ら自身がそれらを崇拝しているとしても、ルシファーやサタンそのものではなく、ルシファーやサタンの力を持てるわけでもありません。
キリスト教世界が「旧約聖書」をルシファーやサタンに連なるものとして捨て去れば、彼らの力は大きく削がれるはずです。
(“異端”キリスト教徒は「旧約聖書」を悪魔の書のように考え、それを捨て去ることが共通的な立場です)
> もはや血と霊の問題を避けて通ることはできません。
彼らについては血や霊の問題ではなく、歴史継承的な価値観や生存様式の問題だと考えています。(それは、近代が歴史を経るなかで、日本人やドイツ人がどう変わったかを考えるとわかるはずです)
それを血と霊の問題にすれば、19世紀から20世紀中盤までのドイツ民族派の考えに取り込まれてしまう危険性があります。
● その他
> そもそも「オーソドックス」が勝利したのはなぜなのかを考えるべきです。
> それは、「国家による救済」を標榜することによって人民に訴え,
> 「国家権力の強化」をもたらすことによって、革命家に訴えた
>からです。
> その要点は、人類史上存在しなかったような強権にあるのです。
> アナーキズムその他は、非科学的だから敗北したのではありません。
> 国家による救済、つまり強力な権力による救済を訴えなかったから敗
>北したのです。
> 「近代人の傲慢」に訴えなかったから、敗北したのです。
> このような「人の性」をよく見極めなければ、次回も同じ運命−敗北
>の運命−をたどることになります。
アナーキズムが、過程的手段として国家権力を奪取することを表明するのではなく「国家による救済」を訴えれば、その一点のみでアナーキズムではなくなります。
(社会(共同体)から分離し支配者となった国家を社会(共同体)に取り戻そうとしたのがアナーキズムです)
それは、グノーシス派などが、聖職者の典礼で救済を得られると主張するようなものです。
この問題ではアナーキズムや“異端派”に近い考えを持っていますから、「国家による救済」が「人の性」に適ったものであり、それ以外では目的が達成できないと判断したら、ひそやかに生活する道を選択します。
> なぜなら、現代では、「近代国家」単位でのグランドデザイン変更は現
>実的ではないと思うからです。 鎖国はできません。 グランドデザイン変更は、
>もし可能だとすれば、総体的とならざるをえないはずです。
価値観の見直しは「近代国家」の枠内でも可能ですし、グランド・デザイン(制度)の変更も、対処療法的に巧妙なかたちであれば「近代国家」単位でけっこうできると考えています。(この段階では、過程的手段としての国家の問題が浮かび上がります)
これまで阿修羅で書き込みした内容は、ほとんどがそのような範囲に収まるものです。
前回の書き込みで、「「世界帝国」の確立後に「近代」を終わらせるほうが合理的なのかな、とも考えています。(ある種の「世界同時革命」ですからね)」と書いたのは、経済及び軍事の面でご指摘の内容を含意したものです。