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(回答先: たこさま。天皇に政治責任がないことの理由に、東京裁判の正当性とその判事がそれを否定したからというロジックをどう思われますか? 投稿者 恋人は海女さん 日時 2003 年 7 月 15 日 08:38:58)
流し読みしただけなので争点を誤解しているかもしれないことを前提に。
天皇の戦争責任と東京裁判を持ち出すのであれば、東京裁判の判事の中で、法律の専門家がインドのパール判事だけであったことを想起すべきだ。そのパール判事が、事後法で裁くことは法の精神に反するがゆえに日本は無罪である。日本が有罪なら、列強各国も同罪ではないか。のようなことを述べていたと記憶しているが、日本が無罪とは日本には戦争責任がないことであり、したがって日本の元首たる天皇の戦争責任がないことは自明である。法的な意味での天皇の戦争責任、つまり天皇の対外的な責任はないというこだ。
阿修羅は通説を疑う場であるという主張があるが、パール判事の日本無罪論が通説ではないのだから、これを用いて考えるということは阿修羅の精神に沿っているだろう。なんだか議論の過程をみていると、Ddog氏もなっていないが、反論する側もただの揚げ足取りをしているだけのようにもみえる。自分の意見と異なるからといって、阿修羅の精神云々などと言うのは自分の意見に説得力がないと言っていることと同義である。建設的な議論にしたければ、別の言い方、例えば東京裁判を語るなら、東京裁判の判決などを引用するのではなく、東京裁判そのものを見直すことから天皇の戦争責任について語ろうと言えばよい。
ところで政治的責任って、どういう意味で用い議論しているのだろうか? 法的責任であるならば一般には無視されているパール判事の説によって皆無となる。
しかし例えば、ウェーバーの政治家としての責任であるならば責任倫理に基づく結果責任を問うものであるのだから責任があるといえる。一方で道義的責任は、心情倫理に基づく責任に過ぎないので政治家が追うべき責任ではないのだから、無視しても構わないことになるのだ。
とまあ政治的責任や道義的責任を、どのような定義にするかでも結論は異なるのだから…