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(回答先: 平成十五年八月十五日、靖国神社に参拝し、大東亜戦争の継続と最終的勝利のために戦うことを誓った。[週刊日本新聞]【失敗を繰り返すことはやめましょう、太田さん】 投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 16 日 19:34:29)
太田は以下のことをいう。
○当「寸評」子は、平成十五年八月十五日、朝、九時すぎ、靖国神社に
参拝し、陸軍大将、日本政府首相東條英機命の英霊に、玉串料を奉納
した。
○しかし、当「寸評」子は吉田松陰、橋本左内から始まる護国の英霊に
対して、米英オランダユダヤイルミナティ世界権力打倒のための大東
亜戦争の継続とその最終的勝利を誓い、祈念したのである。
引用終わり
太田への疑問
1大東亜戦争を肯定している。白人勢力のヘゲモニー(覇権)に対抗しようとした日本の立場は分かる。しかし、同時に日本は天皇を家父長として認めることを強制し、アジアでの覇権を確立しようとした(アジアを守るが、天皇を家父長としてみとめよとのレトリックと条件)。この意味で日本はアジア大陸への侵略者としての位置も不可避に持つ。ところが太田が東條英機の酔心者であることが判明した。つまり、太田は、大東亜戦争の負の部分には目を背ける立場であることが判明した。また東條英機らの価値構造・心情構造から一歩も出ていない、その意味で、戦後60年間、何らその域から進歩していないことが判明した。言い換えれば彼の70何年の人生のうち60年間、大東亜戦争についての理解の仕方に新しい視点がまったく獲得されていないことが判明した。
2 太田は現代日本の「東條英機」である。
3神社という施設で『「特定個人」の「霊」とコミュニケーとする行為』が可能であり、あるいは意味がある、と考えている人間だということが判明した。
*私は、特定個人の霊とコミュニケーとすることが可能だと思わない。可能であるなら、特定の場所は必要がないと考えている。自宅の神棚であろうと、もっといえば惑星のどの地点でも、惑星外のどの地点でもそれは可能であると考える。
4太田は吉田松陰、橋本左内らを護国的英霊とみている。太田は、武士階級の心情に共感しその立場を承継するものであることが判明した。本人が自覚するかどうかは別としてエリート主義の立場に組しているといえる。
5太田は「英霊」という概念を十分自覚的に分析していないことが伺われる。特にこの「英」というところにいかなる思いと意味を寄せているのか。『東條の「霊」』と『東條の「英霊」』といかなる意味の違いを与えているのか。この「英」は英明だという意味か。英雄だという意味か。その両方か。つまり東條は英知があり、英雄だったと考えているのか。太田よ、君は本当に彼が英知があったと考えているのか?そう信じるなら、君、彼の「英知=wisdom」とはいったい何だったのか説明しなさい。ひとついうが、wisdomというのは普遍性を特徴としているぐらいわかっているのだろうな。『宇宙的に時間と空間を超えて機能する「組織された知識」』これが「英知」の意味だ。このレベルのものを東條ごときが持っていたとでも君は信じているのか?もしそうなら、君は「英知」とは程遠い人間だ。君は「英明」とか「英雄」といった概念を少年講談のレベルで安く使っているにすぎない。君は戦前、少年が読む講談本の愛読者だったはずだ。そのレベルの英雄タンレベルで東條を把握している。講談にでてくる英雄である主人公に共感し涙する少年レベルの心情だ。
6現在の日本の方向を大東亜戦争の継続問いう枠組みで考えるなら、逆説的だが白人に対する「勝機」はまったくない。発想の次元を飛躍させることがまづ必要だ。彼らの発想の次元と同じ次元に立っていては、彼らと対抗すらできない。それは、阿修羅でも見られる愚かさだが(Ddog氏など))、相手が「核」をもっているからこちらも「核」をもて、というのは相手が匕首(あいくち)を持っているからこちらも匕首をもてをちんぴらのけんかレベルの発想だ。不毛でかつおそろしく知恵がないといえる。(キッシンジャーの核均衡論はちんぴら議論)