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(回答先: 勝海舟あて書簡を発見 江戸開城後のやりとりも (朝日新聞) 投稿者 シジミ 日時 2003 年 8 月 09 日 15:43:57)
パルテノン多摩で企画展ですか。
それほど遠くないし、無料だし、行ってみようかな。
勝海舟、好きなんです。
昼間に働いて、夜に寝る間を惜しんで勉学に励む。
挫けそうになるとき勝海舟を思い出しますが、
とてもじゃないがマネできません。
「ある日、町の本屋を除くと、最新の兵学書が売っていた。値段は50十両で、とてもそんな金のない海舟は、八方つくして50十両を借りることができた。そして、本屋に行くとその兵学書は四谷に住む与力某という方が買ってしまったという。 海舟はどうしてもその兵学書が読みたい一心で、その与力の家を探し、本を売ってくれないかと交渉するが断られた。
それでも、海舟は「あなたが寝る時間の間なら、あなたは本を読みませんでしょうから、その寝る時間の間だけ本を貸してもらえないでしょうか」と食い下がり、そこまで言われた与力の方は「わかりました。私が寝ている間、あなたに本をお貸ししましょう。しかし、持って行かれるのは困りますので、私の家でお読みになってください。」と言ってくれた。
海舟は、それから半年がかりでその与力の家に通い、筆写してしまった。最後に礼を言うと同時に、その兵学書についての疑問点を二三訪ねたところ、その与力はびっくりして、「私は、まだ本を読み終えていませんし、そのような疑問をいだいたこともありません。この本は私のような者が持っているより、あなたがお持ちになる方がふさわしい。この本は差し上げます。」と海舟に本を渡そうとした。海舟はもう写し終えているのでその申し出を辞退したが、与力は是非にと言うのでとうとう本をもらってしまった。」
「海舟は、永井青崖の門で蘭学に打ち込むこととなったが、蘭学を勉強するには辞書がどうしても必要だった。当時、日蘭辞書として日本には「ヅーフ・ハルマ」という五十八巻もある辞書があった。海舟はどうしても手に入れる必要があった。しかし、値段は60両もする効果な代物である。極貧生活を送る海舟にとって、とても買える代物ではない。
海舟は、そのヅーフ・ハルマをあるオランダ医者が秘蔵しているの聞きつける。年間10両の損料を払うことで、なんとかヅーフ・ハルマを借りることができた。それから海舟は夜も惜しんでヅーフ・ハルマを筆写した。
一部は完了したが、損料の10両を支払うためにもう一部筆写し、それを売って損料を支払うことができた。 このヅーフ・ハルマを筆者した時期は、海舟が25歳から26歳にかけての1年間である。勝家にとって大黒柱の海舟がこのような非生産活動を行っていたのだから、家の柱や屋根を削り取り飯を薪の変わりとしていたというような、「極貧を通り越していた生活を送っていた。」と、後年語っているのも想像に容易い。
それにしても、 五十八巻もある辞書を一年間で2部筆写してしまうとは、海舟の強靱な精神力と、蘭学修得の気迫が伝わってくるエピソードである。 」
http://www.ma-fa.com/kaisyu/B_kaisyu.htm
氷川清話は代表的な書物ですが、興味をもったら、
どうぞ。