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http://www.asahi.com/culture/update/0809/001.html
幕末から明治の政治家勝海舟(1823〜99)にあてた書簡など三十数点が、東京都多摩市で見つかった。幕臣出身で東京府知事も務めた大久保一翁(忠寛)ら明治維新期に活躍した面々が、勝に相談していた様子を伝えている。多摩市文化振興財団は「激動の時代を知る貴重な資料」として、9月に企画展を開く。
同市内の男性(74)が亡くなった父親から譲り受け、同財団に解読を依頼していた。勝あての書簡や絵など三十数点。
慶応4(1868)年5月24日、大久保一翁からの書簡では、勝の活躍で無血開城した江戸城に入った新政府軍と幕府側のやりとりが報告されている。
「上様ならびに一橋大納言殿(中略)御登城あるべき候旨、大総督宮より昨夜お達し」とあり、最後の将軍慶喜のあとに徳川家当主となった家達(いえさと)らに登城命令が下ったことがわかる。幼少の家達に代わり、名代の津山藩(現在の岡山県)藩主、松平斉民を出すことも述べている。
同年10月、幕府の命令で留学していた英国から、急ぎ帰国した中村正直は、書簡で幕府崩壊を「世事転変、言語に絶するの事」と驚いている。
明治19(1886)年5月、大久保一翁は、次男が英国製造の日本の最新鋭艦「高千穂」に乗り、英・プリマス港を出た、と書簡で報告していた。
江戸東京博物館学芸員で「勝海舟関係資料集」(同博物館刊)などを編集した落合則子さんは「明治以降も活躍した旧幕臣と勝との交流の様子がうかがえる新資料が、これだけまとまって出たのは珍しい。特に大久保一翁の書簡は貴重」と話している。
企画展は9月11日〜10月28日、多摩市落合2丁目のパルテノン多摩で。無料。問い合わせは同財団(042・375・1414)へ。
(08/09 14:30)