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(回答先: 『悪魔主義者』=『精神病質人格者』?『黙ってオレについてこい、文句がある奴ァ爆撃だ』マイカ・イアン・ライト著 カート・ボネガットの「はじめに」より 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2003 年 7 月 18 日 23:23:04)
ジャック・どんどんさん、はじめまして。
「悪魔」「悪魔崇拝者」という言葉は、それぞれすみちゃん、あっしらさんが、隠れたところから無慈悲で悲惨な災厄をもたらす人間たちの存在とやり口を指摘し、同胞に警告するために使っている言葉だと私は理解しています。
そして、仰るとおり“日本人にはイマイチピンと来ない”と思われ、切実なメッセージ性がありつつそれが言葉としてはまさに充分機能しないようなので、私は危惧しています。
この状況を例えで表現してみます。
夜の市街で、麻酔性の神経ガスによる襲撃の警報を発するのに照明弾を打ち上げたら、『何か危なそうだけれどもアトラクションかな…』と皆に思われているような感じなんです。切実な危機意識のこもった警報がうまく警報として成立していない…。
だから、これではまずいと言葉使いを批判的に指摘したりしました。表現者としてのお二人に失礼である事を承知の上なのですが…。
ご紹介の作品は読んだ事がないんですが、略記紹介?によって判断すれば、そのようなタイプの「精神病質人格者」は問題としている「悪魔」「悪魔崇拝者」ではありません。そんなのは下っ端の「使い捨て操り人形」です。現在のブッシュ大統領がその立場です。
“自分は白雪のように純粋無垢だと心から信じているだろう…”だから「悪魔」「悪魔崇拝者」からすると都合がいいんです。彼らからすれば、幸いな事に、頭はあまり無くアメリカ等の社会にある父権的幻想に一致したキャラクターを発揮できる能力だけがあり、自分の行いは「信仰」に適っていると信じて疑わないという…本当に都合のいい人ではないでしょうか。
ここら辺のことはあっしらさんが何度も表現してきた事で、その時実証を求められても困難であるために「妄想」とエクスキューズをかけていたんだと解しています。しかしそういう動きが実在しないわけではないという事を、経済論理の逆読みなどから指摘されてきたと思います。
過去のスレを探すと読むに適ったものがあると思います。
私の方から「悪魔」「悪魔崇拝者」にあたるものを指摘しようとしても、まだ的確な表現が見つかっていません。しかし、いま試してみようと思います。
私は政治経済を専攻せず、こちらに来て(すみちゃんより少しだけはやい)はじめて深部に眼を見開かされたので、まだ政治経済の脈絡からは説明できません。精神分析的な脈絡で説明してみます。
どんな宗教であっても、そこにはエクスタシーなどに結びつけたプログラミング性があると思うのですが、そのエクスタティックなプログラミングの直中で、精神のあり方が熟しはじめた人間(高度な知能を持つ人間のほうがよい)を、そのプログラミングから断ち切って、その過程が対象化されて見えるように教育したらどうなるでしょうか。
実感できますか。
宗教の共同体にそのままいれば敬虔な信者となったかもしれない者が、プログラミングを外れてプログラミングそのものを操作できるようになってしまいます。その信仰が価値とする原理を使いまわしつつ冷徹に操作と支配が出来る人間になりうるのです。(あくまでも可能性として)
愛や慈悲といった至高とも思われる原理を利用し、操作して、隠れたところから人を操る者といったら何者か。そういう操作的で狡猾な知性を、愛とか慈悲よりも高い位置にあるものとして自身では崇め、実践する者があるとしたら何者か。
これが「悪魔」や「悪魔崇拝者」表現される者だと私は思っています。
私にとってこの事は、ヨーロッパやアメリカの一部の信仰者というものの、どこか深みで亀裂の生じたような差別的な印象から見えてきたことで、日本でも他の国でもありうることですが、ユダヤ文化等との交渉によって「精錬・成熟」させられた人々の比ではありません。リーマンさんがロンドンの金融市場から伝えてこられる事も共通の地盤にある事だと思われます。
この醒めながらねじくれたえぐさ、老獪さ、計算高さ、無慈悲さ…の極を、日本語でどうやったら表現出来るんでしょうか。
こういった精神性を持つ者が、当の欧米人からも隠蔽された深みから、隠れた形で支配し、操作する事の問題をあっしらさんはずっと阿修羅板で警告されてきたと思います。
そして、今度アルファンドさんとの議論を出発点にして、すみちゃんが新しく指摘を始めるようですので、復習の意味もこめて注目し、考えたいと思っています。
率直な信仰者の方で阿修羅に来られる方は多分少ないと思いますが、拙文にご不快を感じられましたらご寛恕をお願いいたします。信仰はプログラミングであるという断定をしているのではありません。