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(回答先: 小山常美著「日本国憲法無効論」(草思社、平成十四年十一月)を読む。 [週刊日本新聞] 投稿者 乃 日時 2003 年 7 月 06 日 00:42:37)
○中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中川昭一君。
○中川(昭)委員 おはようございます。
古関先生から大変貴重なお話を聞かせていただきまして、大いに考えさせら
れるところがございました。
結論的に、先生のきょうのお話、レジュメ、あるいはきのうの大きく報道さ
れておる先生のあの記事、さらには「新憲法の誕生」というものの、これは一
部ですけれども読ませていただきまして、先生のお話は、押しつけというもの
があったといえばあったし、なかったといえばなかった。それから、感情とい
うものが非常にその過程において大きなウエートを占めたという、大きな文脈
の中でのお話ではなかったかというふうに思います。
そこで、何となく、押しつけについては両論併記的なお考えのように私は拝
察をさせていただくわけでございますけれども、このレジュメについて、幾つ
かまず事実関係についてお伺いをしたいと思います。
まず、日本はポツダム宣言あるいは占領軍、占領政策を甘く見ていたのでは
ないか、したがって天皇の国家統治権あるいはまた占領政策というものについ
て、そして憲法制定をみずからの延長線上でやろうとしたけれども、途中から
マッカーサーを初めとするGHQが憲法の改正手続を取り上げて、一週間の草
案でつくったというお話がございました。私も、その流れは根本的には間違っ
ていないと思います。
しかし、そこで、先生はバーンズ回答のお話をされましたけれども、たしか
ポツダム宣言というのは七月の二十六日に日本に通知されて、八月の十日に日
本から連合国に対して、天皇の統治権は何とか温存させてもらいたいという質
問をして、それに対して、当時のアメリカ国務長官であるバーンズから翌日、
それはだめだと。その根拠は、ポツダム宣言の第十二項に基づく、国民の自由
意思に基づく政府が樹立されたときには占領軍は撤退するんだという、その裏
返しの解釈として先生はバーンズ回答を引用されているように思いますけれど
も、今申し上げたように、バーンズ回答というのは、降伏する前、八月十一日
の回答でありまして、憲法制定の議論とバーンズ回答とは直接的にはかなりの
ずれがあるというふうに考えますけれども、先生のお考えはいかがでしょうか。
○古関参考人 確かに時間的にはかなりありますけれども、今の先生のお話を
つなげて申しますと、十日に問い合わせをする、つまり、天皇大権に変更なき
ものと認めてポツダム宣言を受け入れるという条件つきのものを出すわけです
ね。ですから、天皇大権の変更がないとかあるとかという回答をすべきところ、
そこはしないで、従属のもとに入るんだということを言うわけですね。それに
対して当時の日本の政府は、当時は制限と訳したんでしょうが、制限のもとに
入るということは、天皇の地位は残るんだと解釈をしたということだと思いま
す。
そのことと憲法制定過程は関係ないではないかとおっしゃいますけれども、
確かに直接関係はございませんが、どうして私がそれを申し上げたかといいま
すと、連合国最高司令官と天皇との関係はどうなるのかということを明確に示
すものとして申し上げたわけで、そのことを前提に、GHQが天皇にあるいは
日本政府に命令をし、日本側は法の改正をしという形で進んできているという
ことで、ですから確かに直接関係はないでしょうけれども、しかし、連合国最
高司令官と日本政府とがどういう法的な、権利義務的な関係にあるのかという
点では私は大事だと思って引用いたしたまででございます。
○中川(昭)委員 私は、限られた質問の中で、押しつけ論という議論とそれ
から間接統治という二つの流れから質問をさせていただきたいと思います。
ポツダム宣言の、表から読むか裏から読むかということで、本質的には解釈
自体はそう変わらないんだろうと思いますけれども、マッカーサーへの連合国
最高司令官としての権限という文書があります。天皇及び日本政府の国家統治
の権限は、連合国最高司令官、つまりダグラス・マッカーサーに帰属するとは
っきり書いてあるわけですね。これに邪魔することがあってはならないという
ことがはっきり書いてあります。「米国ノ初期ノ対日方針」というものに書い
てある。ところが、マッカーサーは、天皇というものを存続させるという判断
に早くから立った。これは、占領政策を、言葉は悪いですけれども、比較的犠
牲を伴わない安いコストで遂行するために、ある意味では天皇陛下を象徴とし
て利用された、恐れ多くも利用したと私は思うわけでございます。
その中で幾つかの、押しつけとは言えないという部分にちょっと飛びますけ
れども、この資料のところで、例えばカースト制の話、出身国の話を先生はさ
れましたけれども、確かにこれは、連合国案といいますかGHQ案の英語の部
分にはカースト・オア・ナショナル・オリジンということがありますけれども、
日本文には消えている。
カーストというのは、特定の、ある国の宗教に基づく階級制度でありますから、
日本では全くなじみがないということは、これはある意味では常識でありまし
て、これを起草した方はローストという中佐さんで、インドで教えたことがあ
るということを伺ったことがありまして、その影響かなと。これは推測であり
ます。したがって、これを消すということは余り大した問題ではない。
それから、ちょっと飛びますけれども、土地の国有化という文章がなかった
と。
土地の国有化については、これは後で申し上げますけれども、日本に対して
の占領政策は、欧米型民主主義と、共産主義の排除を大前提に、日本の伝統と
文化、あるいは戦争をさせない、あるいは国家統治機構というものを間接的に
奪うという幾つかの基本政策があって、それに天皇制を利用したというふうに
私は理解をするわけであります。
共産党の日本人民共和国憲法草案、これには当然のことながら、「封建的寄
生的土地所有制の廃止、」とか所有権を絶対に認めないようなことが、「社会
的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。」つまり、私有権の制限ですね。
あるいはまた、社会党の新憲法要綱、これにも「社会主義経済の断行」という
ことが第一の「方針」に書いてあって、そして所有権も公共の福祉のために制
限されるということがある。
まさしくこれは、GHQの基本方針としても、やはり社会主義化、共産主義
化を防ぐためには、ある意味では当然削除されるべきものというふうに私は推
測をするわけであります。
それから、外国人の人権についてということでありますけれども、当時、一
九四六年時点で、外国人に対してきちっとした人権、先生は参政権とは先ほど
はおっしゃらなかったと記憶しておりますけれども、人権について、ほかの、
マッカーサーがお手本としたであろう欧米型民主主義の憲法においてもきちっ
と規定した国が果たしてあったんだろうか。つまり、当時予想し得た範囲内で
の条文になり得たであろうかということについて、私は疑問を感じるわけであ
ります。
それから、国会の一院制についてもお触れになっておりますけれども、私の
聞いたというか調べたところによりますと、ケーディス大佐に言わせると、こ
れは日本政府があくまでも主体的に民主的に憲法制定をするという過程の中で、
一つの妥協材料といいましょうか、落としていい材料だということをケーディ
スははっきり言っているというふうに伺っております。
これらの、押しつけとは単純に言えないという中で挙げてきた項目というの
は、はっきり言って、全部が余り意味のない議論の結論として日本の主張が通
ったというふうに私は考えますけれども、先生はいかがでございましょうか。
○古関参考人 幾つかございますので、順番が御質問いただいたとおりになる
かどうかわかりませんが、お答えさせていただきます。
まず、一院制ですけれども、私も、御指摘のとおりというか、それしか資料
がないのでそういうふうに申し上げるわけで、一言で言えば、いわゆる取引の
材料だというふうにケーディスは言っていたと思います。それはそのとおりだ
と思います。
それから、土地国有化の問題にかかわってですけれども、私は、そんなに単
純と言っては失礼ですか、そういうふうには言えないだろうと思います。
と申しますのは、例えば、もちろんこれは社会主義との関係が非常にあると
思いますが、一九一九年のワイマール憲法では、所有権は義務を有すると言っ
ているわけで、所有権を制限したりするものは社会主義だというふうには言え
ないわけです。よく言われますように、近代憲法というものは、そもそも国家
権力の人権への介入を排除することによって確立されてきたと言いますけれど
も、しかしながら、二十世紀に入る中で、同時に、国家が介入することによっ
て経済的な不平等を是正している。
それは確かに、政治的には社会主義化を防止するとか共産主義革命を防止す
るという部分もあったと思います。しかし、そういう消極的なものではなく、
もっと積極的に、社会権の導入ということはヨーロッパ型の憲法ではとっくに
二十世紀の初頭からつくられてきているわけですから、私は、それとの関連で
も考えてみる必要があると思います。
それから、外国人の人権とか、憲法十四条の、そもそもは「すべての自然人
は」という言葉を使っていたとか、そういった部分にかかわってですが、実は、
日本の占領政策をしていくに当たって、アメリカ政府は幾つかの基本的な指令
とか決定をマッカーサーに対して与えております。
その中で、日本国憲法と非常に大きくかかわるものとして、通称SWNCC
―二二八と呼ばれている文書ですが、よくいろいろなところで知られておるか
と思います。
それは、国務省、陸軍省、海軍省の三省調整委員会の略語です。一九四八年に
改組されて、現在でもそれは続いております。国家安全保障会議だというふう
に言えばおわかりいただけると思いますが、アメリカの最高政策決定機関であ
ります。そこで、日本統治体制の再編成というタイトルの文書を決定しており
ます。これが文書番号でいうと二二八と呼ばれるものです。
その中で、これから日本で人権をどういうふうに改革していくのか、人権政
策をどうしていくのかという部分にこういう文章があります。今私持っていな
いので正確に申し上げられませんけれども、ほぼこういうことです。
日本国内にいる日本臣民、言葉としてこれはよく覚えています。サブジェク
トという言葉を使っていますから日本臣民と訳す以外にないと思いますが、日
本臣民。それだけではないのですね、日本臣民と日本の領土内に住む人の人権
を保障しなさいという言い方をしております。私は、このこととこのGHQ案
十三条、十六条は関連があると思います。
それからもう一つ、非常に特徴的なことで申し上げますと、よくワイマール
憲法というものは民主的で進歩的な憲法だと一般的に評価されていると言って
よろしいかと思います。ワイマール憲法は、人権保障の主語が、「ドイツ人は」
とか「ドイツ国民は」というものが多いです。しかし、一九四九年につくられ
たドイツ連邦共和国基本法、ボン基本法とも呼ばれておりますが、それはよく
知られていることですが、そこの人権の規定は、「すべて人は」とか「人は」
に変わってきているわけです。
私もそんなによく知っているわけではないのですが、私の見る限り、戦後と
言ってもいいのでしょうか、二十世紀の後半の人権規定は、例えば、憲法学者
なんかの言う言葉で言えば、国民権から人権への時代的な流れであったと言い
ますけれども、つまり、人権というのはそもそも国籍など問わないわけですね、
フランス革命の中からつくられたフランスの人権宣言はフランス人にこんな権
利を与えるなんて言ってもいませんから。それが、各国で憲法をつくるように
なって、どうしてもナショナルなものに人権の対象がなっていく、それは避け
られなかったと思います。しかしながら、二十世紀の後半からは、そうではな
くて、本来の、国籍等を問わない規定、「すべて人は」なんというふうになっ
ていくわけです。
以後私の申し上げることは推測ですが、そういう流れをアメリカのSWNC
C―二二八は反映していたのではないかということです。しかし、そこは、日
本政府はそうしたくないというふうに考え、先ほど申しました憲法十条の国民
要件規定を、明治憲法の十八条をそのまま入れて今のようになった。そういう
意味では、私は、どうでもいい小さな問題ではなくて、日本国憲法の基本的な
性格がたったこの十条でかなり変えられているんではないか、法技術的なもの
も含めて。私は、そこはかなり大きなものと見ております、お答えになってい
るのかどうかわかりませんが。
○中川(昭)委員 私も、憲法二十九条の、所有権は保障されるけれども、正
当な補償のもとで公共の福祉に供せられるという条文は重いと思っております。
それから、日本国憲法の中でも、「国民は、」とか「何人も、」とか、いろい
ろな表現の仕方が使われておりますので、一概に右だ左だ、こう簡単に片づけ
る問題ではないということは、私も先生のおっしゃるとおりだと思います。
そこで、結局、明確な改正手続でこの憲法は制定されておるというふうに先
生は最後におっしゃいました。先生の「新憲法の誕生」の「序」のところで、
実は私は幾つかわからない点があるのです。
この憲法は旧憲法を引き継いでいる、あるいは旧憲法時代の人がつくってい
る、あるいはまた潜り込まそうと思ってという表現だったか、正確じゃないか
もしれませんけれども、暗に入れようと思って入ったものもあるというふうな、
連続性を認めているような文章もございます。つまり、「戦前と戦後の連続以
外のなにものでもないであろう。」というような一文もございます。一方では、
にもかかわらず、あえてここで新憲法という、新憲法と言ってももう五十年以
上たっているので決して新しい憲法と私は思わないのでありますけれども、そ
こにはやはり明治憲法とは全く違った新しいものを見出すと。
これは、手続的に連続性があるかないかという御議論なのかもしれませんけ
れども、そうだとするならば、ここでも先生が触れられております宮沢俊義先
生あたりの、途中から、いわゆる八月革命論というもので御説明をされている
ようでありますが、こういう憲法議論、あるいは先生の連続性あるいは非連続
性との関係というものはどういうふうにお考えになっているのか教えていただ
きたいと思います。
○古関参考人 本を読んでいただいてありがたいのですけれども、私は、今中
川先生のおっしゃられた部分を違う表現で言うと、「モザイク模様」という言
葉を使いました。
これはどういうことかといいますと、先ほどの例で言えば憲法十条がそうで
すが、理念の上でも明治憲法を引き継いだものもありますし、明治憲法と全く
違うものもあるわけで、その象徴的なのは第二章の第九条だと思いますが、内
容的にもさまざまな側面がある。そして、新しく盛られた内容が、そのオリジ
ナルがGHQにある。
思想的に言えば、アメリカ憲法の思想的な流れのものもあるし、あるいはヨー
ロッパ的な考え、先ほどの二十五条一項の社会権なんというのはそうですけれ
ども、そういうものを日本の国会議員を通じて入れたものもあるし、さまざま
な要因が働いている。したがって、手続的に見れば、これはやはり連続性を非
常に重んじたとしか言いようがないと思います。つまり、明治憲法七十三条の
改正手続をとったわけですね。
連続、非連続という点で、一点だけきちっと考えなきゃいけないと思う点で
申しますと、マッカーサーは手続的連続性を非常に強調していたと思います。
先ほど申しましたように、できるだけ断絶をつくりたくないわけですね。それ
は、いろいろな国際法上の問題等々も含めてつくりたくない。
しかし、それだけではなく、日本人に受け入れられやすいというものを考え
たということも言えると思います。
非常に形式的な言い方で言えば、非常にわかりやすい言い方で言えば、第一
章に「天皇」があり、第二章の「戦争の放棄」は明治憲法とは違いますが、ざ
っと言って、第二章の「戦争の放棄」と第八章の「地方自治」、これを除くと
編成の順序は明治憲法と同じです。二十世紀後半の憲法で第一章に「天皇」が
あるという憲法は、私はそうそうないと思いますけれども、マッカーサーはあ
えてそれをつくっているという点では、連続性を物すごく意識したというふう
に私は思います。
だから、手続的な連続性ということは否定しがたいだろうと思います。
○中川(昭)委員 私も、形式的な手続論としては、大日本帝国憲法の改正と
いう手続をとり、しかもその本質は、先ほど申し上げたように、マッカーサー
並びに当時のアメリカ政府は、間接統治、つまり、日本の民主的なあるいは代
表された形の政府を樹立するという基本方針のもとでいろいろな占領政策が行
われていったというふうに思います。
そこで、最後になるかと思いますが、押しつけ憲法論であります。
押しつけ憲法論をあえて整理いたしますと、制定そのものを押しつけるとい
うことが一つで、それから、内容について押しつける。これはもちろんダブる
部分もあるわけですけれども、とにかく何でもいいから新しいものをつくれと
いうことと、こういうものをつくりなさいということと、あえて二つに分けま
す。ダブっている部分というか、混然一体の結論になると思いますけれども。
その場合に、先生は、内容がいいんだから、押しつけ憲法と言われても仕方
がないというか、いいのではないかというようなことを、きのうの新聞なんか
でも、これは新聞報道ですから間違っている可能性も否定いたしません。いず
れにしても、押しつけ憲法である可能性がある、でも、この憲法は新憲法とし
て時代の先端にあるというふうなお考えでありますが、私は、押しつけ憲法で
あるかないかの前に、憲法というものは国にとって何だろうかということを、
根本論を考えなければいけない。
戦勝国が敗戦国に対して占領政策を行う。そして、国というものは、領土が
あって、国民がいて、そして歴史と伝統と文化があって、そしていろいろな統
治機構がある。その中で、GHQは、先ほどから何回も申し上げておりますけ
れども、天皇を利用しながら、欧米的民主主義を押しつけといいましょうか強
いて、そして共産主義を排除していこうとした。そして一方では、領土と国民
を守りながら、文化、伝統、教育の相当部分を排除しようとしていった。
そういう状態に置かれていた当時の日本というのは、果たして国家として認
められるのか。先生はここで、国家対国家の関係、これはもう既に古いとおっ
しゃっておりますけれども、私は、当時の日本はまともな憲法を持ち得る国家
ではなかったのではないかという、もっとその前提に立ち入っているわけでご
ざいます。
したがって、押しつけであろうが何であろうがいいじゃないかという議論は、
私は一つの理屈だろうと思いますけれども、そもそも、国家でない、まともな
国家でない、それが実際は植民地だったのか自治領だったのかあるいは信託統
治だったのか、いろいろな形態があると思いますけれども、いわゆるまともな
国家でない国に、まともな憲法が形式的には民主的な手続で制定されたとして
も、実質的には、あの憲法は、少なくとも占領当時の一つの最高法規、国内統
治の最高法規であったかもしれませんけれども、先生がいみじくもおっしゃっ
たように、吉田首相に対するマッカーサーの話、あるいはサンフランシスコ講
和条約によって日本が主権、独立を回復した後に存在する国家の基本法規、最
高法規としての位置づけとは全く違う性格のものであったはずであり、したが
って、それ以降は、新たな独立国家としての、間接統治に基づかない、我々の
意思に本当に基づく憲法というものをつくるべきだった。
これはまさに先生が、吉田さんがつくらなかったのはけしからぬというよう
なことをおっしゃっている。私はそのとおりだと思うわけであります。当時の
数少ないアンケート、毎日新聞のアンケートなんかを見ても、国民の代表によ
って憲法をつくるべきだというのが過半数というようなアンケートもこの資料
の中に載っております。
そういう意味で、私は、そもそもこの憲法は、押しつけだとか押しつけでな
いと言う以前に、当時の占領政策の基本法規であって、独立した我が国にとっ
ての、国民の意思としての憲法ではない。実質的にそうではない。
したがって、私は、先生がきのうの新聞で最後におっしゃっているように、
二十一世紀を見据えた、変えるべきところは変え、また追加すべきところは追
加し、そしてまた、私は読みやすいということも大事だろうと実は思っておる
わけでございます。
社会党も共産党も制定当時と解釈をかなり変えた政策を持っております。共産
党が本当に変えたかどうか私は知りませんけれども。そういう国民に合った議
論というものをしながら、私は、憲法改正も含めた幅広い議論をぜひすべきで
ある、この点については先生と同じ考えではないか。前段の部分についてはち
ょっと意見が違うかもしれませんけれども、結論的には同じではないかと思い
ますが、最後に先生の御意見をお聞きして、終わらせていただきたいと思いま
す。
○古関参考人 たくさんいろいろ先生の方がおっしゃられているので、時間内
でどのくらいお答えできるかわかりませんが。
最初に、制定そのものと憲法の内容というふうにおっしゃられて、私が、内
容さえよければ手続はいいじゃないかというふうに見ているのではないかとい
うことですが、私はそうではない。もちろん内容も大事ですけれども、それだ
けではなく、私たちこの日本という国が、憲法にかかわる国家意思の形成をど
のようにしてきているのか、そこを一つ一つ丁寧に見ていくことが大事だとい
うことを、先ほど一時間の中で申し上げたつもりでおります。私は、内容さえ
よければというふうには全く思っておりません。
それから、新憲法というタイトルをつけて、みんなに、中川先生ばかりでは
なく友人たちにも大いに笑われました。
私があえてつけたのは、やはり日本国憲法は全く新しい理念を盛り込んでい
るということです。きょうは全く申し上げませんでしたけれども、あの当時の
多くの青年たちが半官半民でつくられた憲法普及会のことに非常に積極的にこ
たえている内容を見て、私は追体験として大変感激をしたわけであります。
それからさらに、むしろこちらの方が大事なのでしょうけれども、憲法は国
にとって何であるのかという問いを出される中で、当時の日本は国家ではなか
ったのではないかということです。
日本が、占領下でありますから、当然に外交権を持たないとか、あるいは日
本の国家意思の最高決定の上に占領軍がいるとかという権力形態というのは、
確かに、絶対的な国家主権が存在するものを国家であると規定するならば、私
は国家でなかったと言い得ると思います。占領されているんだから、ある意味
では当然です。しかも、大事なことは、その占領を私たちはポツダム宣言とい
う形で明確に受け入れたわけであります。それはむしろ私たちの責任でありま
す。ですから、やはりそういうところは、一つ一つの手続をむしろきちっと見
ておくべきだということであります。
それから、読みやすいことが大事だとおっしゃられました。私もそのとおり
だと思います。しかし、では日本国憲法はどうなのかと見たときに、当時、昭
和二十一年段階で、刑法も、民法は一編から三編までですが、それも全部文語
体であったわけです。その中で日本国憲法は口語体で発せられたわけで、読み
やすさからいったら、格段に日本国憲法の方が読みやすいことは単純に考えて
明白だろうと私は思います。
最後に、今のお話を伺いながら、私は、憲法をつくるときにケーディスと一
緒に最高責任者であった、ラウエルさんの回想をふと思い出します。ラウエル
さんはこう言っているのですね。日本の象徴は松だというふうによく言われる
けれども、日本人は竹を愛する、強風が来ると、こうべを垂れて強風が去るの
を待つ、強風が去り行くと、またもとに戻るという言い方をしています。私は、
これを読んだときにぎくっとしました。
私たちはいかなるときにも、自分が合意したものに対して合意の責任はとら
なければならないと思います。
先ほど私は、国家の手続を経たというふうに申しましたが、そのときに枢密
院顧問官であった美濃部達吉さんはついに立ち上がりませんでした。反対でし
た。大変な勇気だったと思います。そういう方もいたわけですね。ほとんどそ
の方々は知っていたわけですから、もし本当にこれが押しつけであって承知で
きないのであれば、承認しなければよかったわけで、承認した以上は、私たち
はその責任をみずからのものとして負わなければいけないのだろうと思います。
そこはあいまいにしてはいけないというふうに、お話を伺いながら思いました。
長くなりました。
○中川(昭)委員 終わります。ありがとうございました