現在地 HOME > 掲示板 > 戦争32 > 545.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 米キリスト教原理主義とルサンチマン 投稿者 福音主義基督者 日時 2003 年 4 月 19 日 21:18:58)
>(1);自分こそが不道徳・悪であるということこそがクリスチャン講座の第1講で、原罪といいます。あいつではなく、私なんだという気づき。基督者にとっても最も重要なことは謙遜のはずです(注1)。
確かにそうですが、他方では神の名による殺戮も肯定されてますね。(ヨシュア記、黙示録など)
>(2);キリストは処刑の直前、あなたは王かと問われて「わたしの国はこの世のものではありません。」と答えています。イエスはユダヤ民族をローマ帝国の圧制から解放する革命家・政治家として祭り上げられようとしたが、拒絶したので孤立して処刑されました。お師匠は、政治家としては完全に失敗者です。政治的なアプローチではどうこねまわしても多寡が知れている、それはさして重要じゃないんだというのがイエスの一貫した教えです。直系弟子である12使徒も戦わずに縛に就き、処刑されたとされています(注2)。
原理主義者の聖書解釈は違うでしょうね。
神は「地に満ちよ」「地を従えよ」と言っているし。
>(3);どうコメントすればいいのかわかりません。自己の犠牲を省みるなとは言われていますが(注3)。
>(4);イエスが再臨して行うことです(注4)。政治家が軍隊を使って行うことではありません。
再臨と千年王国に関してはいくつもの解釈がありますね。
前千年王国説、後千年王国説、無千年王国説。
後千年王国説ならキリスト教徒が政権を握るために活動すべきだという結論になるけど。
>(注1)「召されたあなたがたは、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(新約エペソ書4章2−3節)「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」(新約コロサイ書3章12節)「この世の取るに足りない者や見下されている者(注;クリスチャンのことです)を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前で誰をも誇らせないためです。」(新約第1コリントの1章28−29節)など。
これは信徒間の関係の話であって、異教徒・不信者に対するものじゃ無いでしょうね。