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Re: 誇大妄想
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投稿者 名無し 日時 2003 年 4 月 17 日 04:50:43:

(回答先: 誇大妄想 投稿者 古代 日時 2003 年 4 月 16 日 13:55:26)

バクダットは古代バビロニアの首都でした。バビロニアといえば《ハンムラビ法典》、そして聖書にも書かれている有名な《バベルの塔》《空中庭園》と《バビロン捕囚》です。

古代のバベルの塔が現代のバベルの塔連合によって攻め込まれたのに、因縁めいたものを感じます。(英語は世界共通語になりつつあります)
もしかすると、バビロニア王国は聖書の民(特にユダヤ教)にとっては昔から『悪の枢軸』なのかも知れません。

イラクは古代史の宝庫ですから、砂の中から色々なお宝が出てきたことと推察します。ユダ王国のお宝もあったのかも...なんちゃって...

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参考資料1
《ハンムラビ法典》

紀元前3500年頃、メソポタミア(現在のイラク)に、最古の文明が花開きました。その担い手は、シュメール人といわれています。
彼らは、都市国家を作り、金属器を使い、世界最古の文字を発明しました。この文字は、粘土板にアシの茎を斜めに切ったもので刻まれ、その形状から楔形(くさびがた)文字と呼ばれています。
そして、前1800年頃、この文字を使って書かれた全237条の法典が登場します。これが、「ハンムラビ法典」です。ハンムラビとは、当時メソポタミアを支配していたバビロニア王国の国王の名です。

●「目には目を」

あまりに強烈な印象を与えるこの言葉は、実は、ハンムラビ法典に由来しています。ハンムラビ法典第196条には次のように書かれています。「もしある市民が、他の市民の目をつぶすならば、彼の目をつぶさなければならない」。

また、第200条には、こうあります。「もしある市民が、彼に対等の市民の歯を打ち折るならば、彼の歯を打ち折らなければならない」。

「目には目を、歯には歯を」なのです。この、「同害復讐」の原則こそ、人類が初めて制定した法なのです。

現在、西アジア一帯で広く使用されているイスラム法もまた、基本的にこうした、同刑罪の原則の上に成り立っています。もしかしたら、「目には目を、歯には歯を」の原則こそ、人間の本質にもっとも適した刑罰法なのかもしれません。この原則に従えば、人を殺した者は、当然、自分の死をもってその罪を償わなければならないことになります……。

もっとも、ハンムラビ法典は、カンペキな同害復讐法だったというわけではなく、身分によって刑罰が違っていたようです。たとえば、奴隷の目をつぶしても、自分の目をつぶされることはありません。傷つけた相手が奴隷だからです。その場合には、罰金だけで済みました。あくまでも、支配者階級の法律だったんですね。

また、ハンムラビ法典に基づく裁判は、かなりいいかげんな部分も多く、立証不可能な訴訟に関しては、容疑者を水に投げ込んでみるんだそうです。そして、おぼれて死んだら、彼は有罪、浮かんできた場合は無罪となり、逆に原告の方が虚偽の告発をしたかどで死刑となったんだそうです。
http://www.actv.ne.jp/~yappi/w.history/100kodai/005orient2.html

参考資料2

《バベルの塔》《空中庭園》

いわゆる「世界七不思議」のうち、2つまでが、新バビロニアという王朝にまつわります。1つは「バベルの塔」、そしてもう1つは「空中庭園」です。

新バビロニアという王朝は、前7世紀〜前6世紀にメソポタミアからシリア・パレスティナを支配した王朝で、別名カルディアとも呼ばれています。いわゆる“バビロン捕囚”をやった王朝です。

さて、ルネサンス時代の画家ブリューゲルの描いた『バベルの塔』は、次のような伝承に基づいています。

旧約聖書創世記第11章によれば、世界の言語がひとつであった昔、人々は集まって天まで届く塔を造り始めた。神はこれを見て、人間の尊大をこらしめるため、言葉を乱して、お互いに意志が通じ合わないようにした。そのため、塔の建設は中止され、人間は以後各地に分散し、それぞれの地方の言葉を話すようになった──。

この「バベルの塔」は、実際に存在したのです。新バビロニアの王ネブカドネザル2世が造ったといわれる神殿がそれです。現在はその基盤の跡しか残っていませんが、推定される塔は縦・横・高さともに90mの大きさの四角錐で、7段になっており、頂上へはらせん状の階段が設けられていました。

のち、アレキサンダー大王がバビロンに立ち寄って、このバベルの塔を再建しようと計画しましたが、崩壊した塔のれんがを取り除くだけで、1万人の労働者を使って2ヵ月もかかるほどだった、ということからもこの神殿の大きさが十分想像できるでしょう。

バベルの塔と並んで、新バビロニア時代の建築物として有名なのが、空中庭園です。

この庭園は、やはりネブカドネザル2世が隣国メディアから嫁いできた愛妻アミティスのために建設したものでした。王妃アミティスは、故郷の多くの草木が茂るメディアの野山が忘れられず、毎日淋しい日々を過ごしていました。それを知った王は妃を慰めようと、メディアの国の山に似た階段状の庭園を造ったのでした。なんとろまんちっくな話でしょうか。

発見された遺跡は、42×30mの中に細長い部屋がいくつも並べて造られており、天井はおそらく丸天井になっていたと思われます。

庭園には各地の珍しい草木が植えられ、1年中青々と、そしてまた色とりどりの花が咲いていたといいいます。しかし、暑いバビロンで、これらの草木を常に青々とさせておくためには、普通の庭でも相当の労働力を必要とするのに、この場合、7段になった各テラスまで毎日水を運ばなければならないのです。

どうやってかくテラスまで水を供給としたか。そこに不思議な仕掛けがあったと考えられます。
これはまだ解明されていないバビロンの謎なのです

http://www.actv.ne.jp/~yappi/w.history/100kodai/010orient7.html


参考資料3
《バビロン捕囚》

1. BC586年〜BC538年

新バビロニア国王ネブカドネザル2世がユダヤ王国の首都エルサレムを3回(BC597年、BC586年、BC582年)にわたって破壊。(BC598年新バビロニア王国がユダ王国を滅ぼし住民を強制移住と奴隷化)

同市を属州化し、貴族・軍人・工人等45000人以上をバビロンに強制移住させた事件。

BC538年の新バビロニア滅亡後、捕囚のユダヤ人は解放されたが大部分は離散し、ディアスポラとなった。

2. 1309年〜1377年

アヴィニョンの幽囚
フランス国王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世を廃位させ、教皇クレメンス5世を教皇に選出

1309年 アヴィニョンに教皇庁を移させ、勢力下においた事件
1377年 皇帝カール4世の時、教皇グレゴリウス11世のローマ帰還が実現
教皇権(教権)がフランス王権に屈したことが幽囚にたとえられた
1378年以降も1417年までローマに対抗してアヴィニョン教皇が続き教会分裂(シスマ)時代とよばれる

http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/ha/babirh.html

より詳しい説明(PDF)
http://www.asahi-net.or.jp/~qq8a-tdn/christ/Babylonian_exile.pdf

参考資料4
歴史研究の西アジアの各項に年表あります。
http://uraken98.cool.ne.jp/rekishi/reki.html


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