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(回答先: イラクの戦争は、ロシアにその軍事ドクトリンを変更するように促します。(イタル・タス通信) 投稿者 えっくす 日時 2003 年 4 月 21 日 22:18:44)
04/24 16:16 安全保証し、退任迫る フセイン氏受け入れも検討 外信59
イラク戦争回避のため、ロシアがフセイン・イラク大統領に対し
て進めた「辞任工作」の実態が明らかになってきた。複数の外交筋
によると、プーチン政権はフセイン氏の亡命受け入れも視野に説得
を続けた。だが独裁者は「国民とともに残る」と繰り返し、権力へ
の執着を最後まで捨てなかった。
ロシアがフセイン大統領に政権放棄を最初に打診したのは一月十
五日前後。米国の同意を得て「一月末までに辞任すれば、生命の安
全を保証し、戦犯訴追もしない」と説得した。既にイラク周辺に米
軍が本格展開しており、「撤収への方針転換が可能となるぎりぎり
の期限が一月末だった」(同筋)という。
しかし、フセイン大統領は応じず、一月末の期限はなし崩し的に
延期された。
ロシアは(1)プリマコフ元首相とフセイン大統領(2)ロシア
対外情報局とイラク情報機関ムハバラート(3)駐イラク大使とイ
ラクのアジズ副首相―の三ルートで工作を続けた。クレムリンが最
も期待したのが、中東専門家でフセイン大統領と親交があるプリマ
コフ元首相。プリマコフ氏は二月二十三日と開戦三日前の三月十七
日の二度、大統領と会談した。
「あなたが国民を愛するなら、戦争の犠牲を避けるため辞任すべ
きだ」。三月の会談で元首相はプーチン大統領のメッセージを伝え
た。しかしフセイン大統領は側近のアジズ副首相を部屋に呼び、彼
の前で同じ言葉を繰り返すよう求めただけだった。
大統領は元首相の肩をたたき、笑顔で送り出した。一九九一年の
湾岸戦争の際も和戦をめぐり渡り合った旧友同士の゛最後の別れ″
だった。
プリマコフ氏は最近の記者会見でこうした辞任工作の一端を明ら
かにした。「ロシアが戦争回避に最後まで努力したことを訴えるた
め」(外交筋)とみられるが、亡命の働きかけについては沈黙を守
ったままだ。
しかしロシア政府筋によると、クレムリンはフセイン大統領一族
や側近の家族も含め百人以上を受け入れる覚悟を固め、当面の落ち
着き先としてモスクワ郊外を検討していたという。
フセイン亡命は兵士の犠牲や戦争の泥沼化を恐れる米国にも最良
の選択肢だった。「亡命工作の事実は確認している」。モスクワの
西側外交官が証言する。ロシアの手で戦争回避を実現すれば、フセ
イン後のイラク利権の確保や対米関係で発言力を強化できる―。プ
ーチン政権にはそんな思惑があった。
亡命工作には米国の意を受けたサウジアラビア、ヨルダンも乗り
出した。ヨルダンのアブドラ国王はイラク要人をひそかにアンマン
に招き説得を続けた。フセイン大統領周辺に動揺が生じたが、大統
領は動じなかった。亡命を進言した側近を大統領が投獄したとの情
報が流れた。
ロシア外交筋は「フセインは砂嵐やしゃく熱を味方に長期的なゲ
リラ戦を挑めると考えていたのではないか」と語る。しかし「国民
とともに」とどまったフセイン大統領のために、イラク民衆が立ち
上がることはついになかった。(モスクワ共同=松島芳彦)
(了) 030424 1616
[2003-04-24-16:16]
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