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「サダムよさよなら」 クルド人、喜び爆発
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http://www.asahi.com/international/update/0410/010.html
9日、イラク北部のクルド人自治区スレイマニヤで、米軍のバグダット制圧を知り「ブッシュが好き」と叫ぶクルド人=AP
イラク北部クルド人自治区では9日、大勢の市民が路上に繰り出し、「サダムよさようなら」などと叫んで踊り出した。バグダッドで市民が公然とフセイン大統領に反旗を翻す映像が自治区のテレビでも流され、「フセイン政権の崩壊」を確信したからだ。中央政府の権力の及ばない自治区では、治安警察の監視の目を警戒する必要もない。クルドの人々は喜びを爆発させた。
クルド愛国同盟(PUK)が運営する衛星テレビ「クルド・サット」は通常の番組を中断して、PUKの本拠地スレイマニヤの様子を流し続けた。
市中心部の路上は、民族音楽に合わせて手をたたきながら踊る人々で埋め尽くされた。道を走る乗用車はクラクションを鳴らし、窓から身を乗り出して手を振る。
クルド語でペシュマルガ(死に直面する人)と呼ばれる民兵も、市民と輪をつくった。上半身裸になってシャツを振る若い男性。小さな娘にお祝いの席用の銀の飾りをちりばめた服を着せて肩車した父親の姿も見える。英語で「永遠の平和を」と書いたプラカードを掲げる人もいた。
少数民族としてイラクで中央政府との対決を続けてきたクルド人は、フセイン政権下で過酷な迫害を受けてきた。
80年からのイラン・イラク戦争では前線に送り込まれたうえ、イランとの協力関係を疑うイラク政府は、国境近くのハラブジャを化学兵器で攻撃し、5千人のクルド人が死亡した。フセイン政権は、150万人ともいわれるクルド人の強制移住を進め、キルクークなど油田地帯の要衝の「アラブ化」を進めた。
91年の湾岸戦争後、クルド人は反フセインで蜂起したが、期待した米軍の支援はなかった。逆にイラク軍の反撃で150万人近い難民が発生した。米英の設定した飛行禁止空域の保護のもとで自治区が生まれたが、フセイン大統領の影におびえ続ける生活だった。
(04/10 10:32)