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同放送(USEN E-19で聞ける)は,欧米のプレスでは唯一,ティクリットに特派員を派遣している。
それにしても,空港を占拠されて以降のイラク側の無抵抗ぶり,というよりもイラク側抵抗力の組織的な「解体・消滅」は驚異的だ。途中から「戦争」の体をなさなくなった。
この掲示板を賑わしている「フセイン・エージェント論」については措くとして(というのも,現状ではこれについて的確な論議を行なう根拠が絶対的に少なすぎる,と私は判断している。「あっしら」さんとその重厚な主張には敬意を感じているが),それ以外の常識的な可能性としては
1)バグダッドのレストランへの空爆でフセインは死亡した(これ以降,急速に軍事的抵抗がなくなった)。あるいは最初の空爆で負傷していたフセインがその後死亡した(この場合はバグダッドに現われたのは替え玉ということになる)。
2)フセインとその側近の国外逃亡ということで,米軍側とのボス交渉が急遽まとまった(バグダッドへ中心部への侵攻は,ほとんど反撃がないという確証がなければ行なえなかった)。
3)1と2の合併バージョンだが,フセインr死亡を一部トップが隠していたが(その場合は,サハフには知らせれていなかっただろう),そうした高官達と米軍との交渉が急遽まとまったので,高官達はいっせいに姿を消してバグダッドを放棄した。
が,考えられる。2)の場合でも,表向きは「フセイン死亡」にしなくてはならないから,フセイン死亡キャンペーンがはられることになる。
一つ気になっているのは,バグダッドで市街戦を行なうという準備が,初めから少しもなされていなかった点である。土嚢もろくにつんでいなかったし,戦車を食い止めるバリケードも作られなかった(この点は,例の軍事評論家もしきりに首をひねっていた)。かつてのハンガリー暴動でも顕著だったように,市街戦で戦車の前進を防ぐためにはバリケードは不可欠なはずだったが。「バグダッドまで米軍がたどり着くのはもっとずっと後」と気楽に構えていたのか,はなから市街戦を戦うつもりはなかったのか,どちらかのように思われる。この点は,「初めからできレース」という推測の一つの根拠になるかもしれない。
いずれにせよ,何らかの「決定的なファクター」なしに,今回のような「歴史に残る奇妙な戦争」になったはずはない。「米軍の圧倒的戦力による結果」などと評するのは方向違いだろう。イラク側が的確な戦略で本気で戦えば,2,3カ月はもったはずだ。
できれば,真実が明かされてもらいたいものだと思う。