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(回答先: アラブ民衆、イラクびいき強める 讀賣新聞 投稿者 怪傑 日時 2003 年 3 月 30 日 04:30:17)
補給を軽視して調子に乗って深入りした侵攻軍側は、防衛軍側にいずれも負けている。それも大軍であればあるほど、補給物資を大量と必要とするので「補給路寸断に弱い」と言う共通の弱点を抱える。スターリングラートについては別の方が書いているので、ここでは他の例をいくつか(日本でも世界史の教科書で習う程度のものを)。
1.隋の第一次高句麗遠征:高句麗の将軍乙支文徳(ウルチムンドク)らは、あえて広い地域を無防備としその代わりそれら地域から住民と食料を安全な地域まで引き上げる典型的な「焦土作戦」を実施。そのため調子に乗って深く進撃した隋軍は後背の補給路を高句麗軍のゲリラ的攻撃で寸断され、やむなく退却するところを反撃にあい、数十万の大軍が壊滅。隋滅亡の一因となる。
2.豊臣秀吉の朝鮮出兵:1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)があるが、特に文禄の役では、上陸してからの連戦連勝に調子に乗って深入りしすぎて朝鮮民衆のゲリラ的な抵抗とと海路を李舜臣率いる水軍に制海権を奪われ、結果的に補給路を寸断されたことにより飢えや寒さで困窮し、結局撤退を余儀なくされている(この失敗が豊臣政権の滅亡と徳川幕府設立の一因とされる)。
3.ナポレオンのロシア遠征:多くの人が書いているので概略のみ。これも破竹の勢いでヨーロッパを席巻していたナポレオン軍がロシア深くまで進撃したものの、「冬将軍」の到来とゲリラ的抵抗による補給路寸断により敗退を余儀なくされ、結局ナポレオン失脚の最大の原因となる。ロシア側は当時最大の都市モスクワすら放棄しながらも頑強に抵抗を続けたため、この戦闘が後に多くのゲリラ戦の手本となったことは言うまでもない。
他にも1944年の日本陸軍によるインパール作戦その他補給を無視した大軍派遣の愚行は多々あるも、字数の関係もあるので他の詳しい方に譲り割愛する。