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(回答先: 中沢新一がオウム事件への関与は「営業」だったしプラスになった、と豪語 投稿者 スキャンダル太りは醜悪だね 日時 2003 年 5 月 14 日 04:30:41)
今月の作家:中沢新一さん(アサヒコム/作家に聞こう)
http://book.asahi.com/authors/index.php?key=18
↑先ほどとはリンクが違い、直接中沢新一さんのページに行けます。
>『その意味では、オウム事件っていうのは、ぼくには非常にプラスに働きました。』
>『自分の身の周りで膨大に膨れ上がった余計なもの、もう前進することもできない
ぐらい手足に絡みついていたものを、一気に払い落とすことができました。』
これは仏道の修行者が「自分の大切なもの」=「自分のとらわれているもの」を
取り去ることを言っているのでは、と思います。
普通の人は「売り上げが上がった」「お金が集まった」など、
「自分のとらわれているものが自分の周りに集まること」を「プラスになった」と
考えますが、
修行者は、
すべては無常、いつかは無くなってしまうもの。
いつかは無くなってしまうものにとらわれることは苦しみだ。
だから、とらわれないようにしよう。
と考えるようです。
ただ、まだまだきっと修行の途中ですから、なにかにつけとらわれてしまうので
しょう。そのとらわれを、オウム事件で「剥ぎ取られた」ことが中沢さんにとって
「プラスになった」と、表現しているのではないか、と考えます。
同じページの中でこういうのもあります。
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質問
以前、あるテレビ番組で、中沢先生はバルトークのバイオリン・コンチェルトに周囲
に惑わされない強靭な作曲家の意志を感じ取り、この曲が自らの精神的支えともなっ
てきたと語っておられました。社会的な困難や無理解に遭遇したとき、自らを支え、
更なる結実へと向けて突き動かしてきたものとして、このような音楽以外に何があっ
たのでしょうか。また、今注目している作家、評論家、思想家、その著作があれば教
えていただけますか?(海外・「麻呂」さん他)
回答
ぼくは変わったことをやっていますから、普通の人よりも困難に遭遇することが多
かったような気がします。誤解も多いですし。ただそれは先駆者の宿命だと納得して
います。オウムに関してバッシングされたときは、ショスタコービッチというソ連の
作曲家の伝記を読んで、ずいぶん力づけられました。ソ連のなかにあって恐ろしいバ
ッシングを受けたにもかかわらず、彼の交響曲第五番は、絶対権力者のスターリンを
精神性で圧倒してしまっているんですよ。そういう仕事をしないといけないと、その
頃思いました。
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>『オウムに関してバッシングされたときは、力づけられた』とあります。
→すなわち、オウムに関してバッシングされたときは落ち込んだ、みたいです。
>『その手のスキャンダルにまみれるのは、やはり才能の一種なんだと思うことにしました。』
→「思うことにした」前には、、、大変だったのでしょう。
>『オウム事件を通過して、ぼくは純化されました。自分ではスキャンダルで太っていく
松田聖子タイプの人間では本来ないと思っていたんですけども、意外と強かったようですね。』
→以外と強かった、というところから、「弱くて負けるかもしれなかった」ということがわかるような気がします。
まぁ、世の中にはいろんなひとがいて、いろんな風に考えるものです。(中央大学に遊びに行ってみようかな。)