現在地 HOME > 掲示板 > 国家破産26 > 690.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 価値観を問題にするよりも、法制度を考案することが必要 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 5 月 28 日 10:03:24)
すみちゃん、レスありがとうございます。
すみちゃん:現在「特定ミクロ経済主体」(具体名を挙げるのは止めます)が求めている「利潤獲得の極大化」は、焼き畑農業に過ぎません。
日本を食いつくし、利潤を上げた後、日本国民が貧乏になったら、他の国にとりつくという行動です。
これが本当に「利潤獲得の極大化」になっているかどうかは疑問です。
他の国に移動してみたらどうなるか分かることです。 どんな目に遇うか、試してみればいいんです。 馬鹿は死ななきゃ直らない。
「短期的利潤獲得の極大化」と定義し直すべきですね。
これは「長期的利潤獲得の極大化」とは反する企業行動です。
---------------------------------------------------------------------------------------
経済論理としては同意しますが、補足をさせてもらいます。
「特定ミクロ経済主体」の目的は、貨幣的富の独り占めを通じた世界の支配です。
フローである「利潤獲得の極大化」は、ストックである貨幣的富の独り占めを迅速に効率的に行なうための手段です。
近代経済システム(中央銀行+近代産業+国際交易)は、そのための手段として確立されたものです。
貨幣的富の独り占めが完了するか、「利潤獲得の極大化」にとって不都合になれば、近代経済システムを捨て去ります。
(「特定ミクロ経済主体」にとっては、近代世界そのものが“焼き畑”です)
そして、デフレの持続は、ほぼ独り占めに達した貨幣的富の目減りを防いだり実質価値を高めるものとして歓迎します。
もちろん、デフレの過程でもフローの利潤獲得の極大化をめざしますが、それが従来のようなかたちでは実現できないことを了解しています。
(貨幣的富収奪の手法として、貨幣的富の直接的な移転でしかない金融取引に傾斜してきたのもその現われです)
日本の銀行や国際優良企業は、「特定ミクロ経済主体」でもないのに、彼らのご託宣を鵜呑みにして追随するという愚かの極みにはまっています。
貨幣的富の収奪対象が減少しているなかで、日本の銀行や国際優良企業は格好の標的になります。
すみちゃん:あっしらさんはこれを「自由主義的経済価値観」とおっしゃっています。
しかし、この価値観は、現在の会計基準、直接金融、税制、自由主義的貿易体制に適合した価値観ですね。
単純に問題を簡略化して述べると、現在の法制度(下部構造)の下では、自由主義的経済価値観に従わない会社が淘汰される運命にあるのです。
特定ミクロ経済主体も、法制度によって頭を縛られており、自由に価値観を選択できるような存在ではありません。
価値観の問題とか政治という問題設定では、この状況を変更することはできません。 この先はデッドエンドですよ。
そこでお願い。
あっしらさんには、「長期的利潤極大化」を求めるミクロ経済主体が淘汰されないような法制度を案出して頂きたい。
---------------------------------------------------------------------------------------
鶏が先が卵が先かと言う話になりかねないテーマですが、価値観と法制度の関係では、価値観が先行すると考えています。
「この価値観は、現在の会計基準、直接金融、税制、自由主義的貿易体制に適合した価値観ですね」と書かれている部分は、“ある価値観が擬似的に多数派になりその価値観に従って制度変更が行われた”というほうが適合すると思います。
もちろん、制度ができることで、それを生み出した価値観の説明体系・影響力・説明力などが変わっていきます。
これは、価値観が変われば法制度が変わることや価値観が変わらなければ法制度も変わらないことを意味します。
「特定ミクロ経済主体も、法制度によって頭を縛られており、自由に価値観を選択できるような存在ではありません」は、“価値観によって頭を縛られており、法制度によって現実活動を規定されている”のほうが適合すると思います。
現段階では、法制度や活動形態の基礎である価値観の見直しが最優先テーマだと考えています。