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(回答先: 経済学と経営学 あとがき [経済コラムマガジン 03/5/26(第298号)] 投稿者 ななしさん 日時 2003 年 5 月 25 日 20:17:55)
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経済コラムマガジン 経済学と経営学 03/5/26(第298号)
経済メディアの経営学指向
筆者は、最近、日本経済復活の会の会長、小野盛司氏と各種のセミナーに出席することがある。我々の支援者がこのような会合をセットしてくれるのである。まず我々が掲げる「積極財政を、しかも何年も続ける必要がある。緊縮財政を続けると経済の破綻を招き、むしろ財政再建は困難になる。」と言う我々の主張をシミュレーションを使って説明する。その後、説明に対しての質疑応答を行うのが一般的なスケージュールである。
もちろん出席者の中には、我々の主張に反対の人々がいる。積極財政に反対で、「規制緩和」や「構造改革」でこの難局を乗り切るという考えを披瀝する。彼等は、今日の経済の不調は、規制緩和が進まなくて、構造改革が抵抗勢力の反対で進展しないからと固く信じている。またこのような人々は、過去の財政政策が効果がなく、借金ばかり増やす結果に終わっていると思い込んでいる。このような考え方の人々は、比較的若い人に多い。
本誌でこれまでも何度も説明して来たように、過去の財政政策が効果がなかったというのは全くの「嘘」である。効果はちゃんとあったが、バブル崩壊後の設備投資の減少が大き過ぎたため、トータルでは、効果がよく見えなかったに過ぎない。そして財政の累積債務の増大も、財政支出の増大のためというより、税収が大きく減ったことが主な原因である。実際、これまで積極財政を採られたケースもあったが、少し景気が上向くと、直ぐに日銀が金融引き締めに走ったり、財政再建の声が大きくなり緊縮財政に政策転換した。
しかしこのような考えの若い人々は、財政政策の効果を別にして、「規制緩和」や「構造改革」がデフレ対策の決手と固く信じている。しかしさすがに小泉政権の言っている「規制緩和」や「構造改革」が具体的になるにつれ、一部には「これは違うのではないか」と考えがゆらいでいる人も出てきている。タクシー業界の自由化や「特区」で景気が回復したり、郵便局の民営化や、高速道路を造らないことがデフレ対策になるとはとても考えられないことに、ようやく気が付き始めているのである。
彼等は本当は何も考えていない。「規制緩和」や「構造改革」を行えば、経済活動が活発になり、経済が立直るとただ漠然と考えていただけである。だから「規制緩和」や「構造改革」に関して具体的イメージを聞かれても、何も答えられない。たしかにこのようなムードをマスコミはこれまで作って来た。新聞や経済の専門誌までもが、熱心に改革運動を推進してきた。しかしこれらの経済メディアのマクロ経済の捉え方はデタラメである。例えばデフレの解釈などはめちゃくちゃである。
先日、日経のニューヨーク特派員が「ニューヨークは一旦インフレになるが、そのうちデフレになる」という奇妙なコラムを書いていた。税収不足で、公共料金が一斉に値上げになり、一旦インフレになり、その後、公共料金の値上げで購買力が減り、一般物価が下がりデフレになるというのである。完全に混乱している。インフレ、デフレの定義を物価の上昇、下落で捉えるからこのようなおかしなことになる。
本来、インフレ、デフレはインフレギャップ、デフレギャップの発生によって起るのである。物価上昇をインフレと呼ぶからこのような混乱が起るのである。これは「2年連続で物価が下落した場合をデフレと呼ぶ」といった、IMFの頭のおかしいエコノミストが勝手に作った定義の影響である。彼等は、元々インフレギャップ、デフレギャップの存在を認めていない不思議な集団なのである。ちなみに先週号まで取り上げたスティグリッツ教授は、頭のおかしいIMFのメンバー達から攻撃されている。
経済の専門誌は、名前は「経済」であるが、明らかに内容は「経営」である。いつも一企業の立場からの視点で経済を見ている。実際、スタッフには経済学をまともに勉強した者などいないと思われる。たしかに今日「経済」と言っても本や雑誌は売れないのである。したがってこれらは経済といいながら、経営の専門誌になってしまっている。しかし経済と経営は全く違う。今日、一企業の生残り策を説いているのが今日の経済新聞であり、経済専門誌である。だから「規制緩和」や「構造改革」を強く訴えるのである。したがって経済専門誌は財政支出は不要と決めつけ、常にこれに強く反対している。
経済専門誌と言っても、ほとんどマクロ経済に関心がないと考えられる(おそらく経済が解る人は閑職に追いやられている)。経済メディアの関心は、これまでマクロ経済から一企業の行動を対象にする経営に移っていた。ところが最近では、この経営学からさらに対象が小さくなって、一個人を扱う議論が活発である。個人がしっかりしていないから、日本企業が弱体化し、しいては日本経済がだめになっているというのである。銀行の経営者をクビにすれば、銀行が蘇ると言うめちゃくちゃの議論もこの延長線上である。もう戦前の精神主義と同じ世界である。このような経済メディアに強い影響を受けているのが、今日の日本の若い知識人である。
輸出企業への補助金
経営学の観点からは、出来の悪い下請を切り、出来の悪い社員を追出せば、企業は立派になる。具体的には、社員を給料の安い派遣社員に置換え、安い中国製の部品を使うことである。したがってこれを国に当て嵌めた場合、国を立派にする手段が「規制緩和」や「構造改革」と考える。しかし経済を問題にするなら、国全体が重要である。業績の良い企業だけでなく、倒産間際の企業、失業者、そしてフリータやホームレス達全部を含めたものが一国の経済である。
経営者がカルロス・ゴーンになり、企業が立派になっても、貧乏人ばかりになっている国内にはその製品を買う者がいない。したがって出来上がった製品は輸出する他はない。そして経済専門誌の影響か、全ての企業経営者がカルロス・ゴーンになろうとしているのが今日の日本である。
日産一社が輸出を増やすのなら、日産にとって為替は一定(所与)である。しかし全ての企業が輸出に活路を見い出すのなら話は別である。内需を増やすことなく、カルロス・ゴーンをもてはやすほど、日本の輸出が増え、いずれ円は高くなる。為替は各国のハンディキャップであり、変動相場制を採用しているなら、長期的には経常収支が均衡するように動くのである。さらに日本のように海外に莫大な資産があり、これからの利息や配当が年間8兆円を越えているような国は、たとえ貿易収支が赤字になっても為替は高く(円高)なる。
今日、当局は、必死になって米ドルを買支えている。外貨準備高もとうとう60兆円を越えた。本来、変動相場制場合、決済尻は、為替水準が変動し、調整されるはずである。つまり本当は、日本に外貨準備は必要ないのである。したがって外貨準備高は端的に言えば、国から輸出企業へのこれまでの補助金の合計である。外貨準備高の60兆円は国から輸出企業へのプレゼントである。民間も外債投資を行って米ドルを買支えて来た。なんと民間と国が合計で180兆円以上もの補助金をこれまで輸出企業に与えて来たのである。このように日本は内需産業がどんどん潰れるのを黙認しながら、外需産業を保護してきたのである。ところが今日、世間のマスコミは全く逆のことを言っているのである。
経済専門誌などのマスコミの主張通りの経済政策(財政支出に反対)を進めれば、円高になるのは必然である。そしてこの円高を抑えて来たのが、当局の為替介入である。もっとも為替水準は、政府がその意志を示せば、一定の水準で推移させることができる。円高の場合には、円をどんどん刷って、米ドルを買い続ければ良いからである。しかしこのようなことを続けるのなら、変動相場制を採用している意味がない。
米国が「強いドル」を建前でも主張していた時期は、日本の当局の為替介入は黙認されていた。しかし米国もデフレ色が濃くなっており、政策の転換を行おうとしている。どうも米ドル安政策は本物のようである。特に注目されるのが、米ドルとユーロの関係である。イラク戦争に賛成した英国(ポンド)・日本(円)と、反対した仏・独(ユーロ)の為替の動向は注視するに値する。将来的には、欧州中銀の存在意義までが問われる事態が考えられる。
このように若者が主張している「規制緩和」や「構造改革」政策は、日本では結果的に円高を生むことになる。たしかに米国が容認している間は、為替介入でこの円高の阻止は可能である。しかし米国が米ドル安政策に傾けば、当局の介入も腰が引ける。このように最終的に為替は政治問題である。
筆者は、円安論者である。しかし為替介入による円安政策は最後の手段である。内需拡大を行い、企業が輸出に頼らなくても良い状況を作るべきと考える。実際、日本の経済がかろうじて持っている原因は、小泉政権が公約を破って国の借金を増やし、個人も借金を増やしながら消費していることと、この当局による為替介入と呼ばれる輸出企業への補助金政策である。しかしいずれこれらも限界が来る。そして設備投資や住宅投資に期待が持てないのであるから、日本にはもう財政政策しかないことは明白である。