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『森田実氏:2003.4.1 「日本再生の道」研究――『老子』を知れば道は開ける[1]』
( http://www.asyura.com/0304/hasan25/msg/182.html )に続くものです。
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アメリカ絶対善を信奉する政治家・学者・ジャーナリスト・エリート官僚が、日本の諸悪の根源である
「無為をなせば、治まらざるなし」(老子)
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無為とは人為を用いない政治のこと。人民が自由に生きることができるようにすれば天下はよく治まる。政府は人民に対して「こうしろ」「ああしろ」といちいち指示したり、人民の生活に干渉しない方がいい――という意味である。
この言葉の前に次の文章がある。
「賢を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざらしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗をなさざらしむ。欲すべきを見(しめ)さざれば、民の心をして乱れざらしむ。ここをもって聖人の治は、その心を虚しくし、その腹を実たし、その志を弱くし、その骨を弱くす。常に民をして無知無欲ならしめ、かの知者をしてあえてなさざらしむ」(人の賢愚は相対的なもの。賢を重視しなければ民の争いはなくなる。手に入れにくい金貨財宝を貴ぶことをしなければ盗みはなくなる。欲望を無理に刺激するようなことをしなければ人の心は乱れない。真の聖人の政治は、人の心を虚しくし欲望は抑制するが、健康に生活できるようにすることだ。人民が余計な知識も余分な欲望を持たなければ、こざかしいエリート官僚も余計なことをすることができない)
最近の日本の政治は、日本固有の習慣や文化まで変えるような行き過ぎた国民生活への干渉を行う傾向が強まっている。行き過ぎた改革を叫んで実行し、結果として大失敗を繰り返している。
「日本再生の道」研究――『老子』を知れば道は開ける[1]で、私は、90年代以降今日に至るまでの人気の高かった三つの改革内閣(細川内閣、橋本内閣、小泉内閣)の失敗に言及した。
最初の改革内閣・細川政権の三大功績といわれてきたものは、(1)自民党単独政権を終わらせたこと、(2)ガット・ウルグアイラウンド合意を受け入れて米の自由化に踏み切ったこと、(3)衆議院議員選挙に小選挙区比例代表制を導入したこと、である。
しかし、10年間を経て、いずれも成功したとは言い難い。むしろすべて失敗と評価しなければならないと思う。たしかに自民党一党政権は終わったが、「自社さ」「自自公」「自公保」という連立政権の形をとって自民党政権は復活した。これらの連立政権は自民党単独政権よりもはるかに低級な政権である。自民党単独政権よりもはるかに非民主主義的であり、強権的である。
細川内閣による政治改革は、結果的により悪い政治体制を生み出すことになった。政権は国民の投票結果ではなく、政党指導者の政権欲にもとづく駆け引きによって決まるようになり、理念なき政治が横行するようになった。
第二の米の自由化は、結果的には日本の国益の推進に役立ったとは言い難い。日本農業の衰退を食い止めることはできていない。それだけではない。その後の展開は日本の米作そのものの危機につながっている。日本の食糧の生産と供給は米国の手に移ろうとしている。
第三の政治改革についても、これによって政権交代可能な二大政党制が生まれたとは言い難い。小選挙区比例代表制と重複立候補制により政治家の誇りと品位は極端に低下した。
細川改革政権はすべての面で失敗したと断ぜざるを得ない。失敗の原因は何か。結論から言おう。日本の風土、文化、習慣を無視して欧米流のやり方を直輸入しようとしたことにある。長い歴史のなかで定着した習慣、文化、風土を、政治権力の手で変えようとするのは大間違いである。政治権力の乱用である。
次の改革内閣は、行政改革、財政改革、金融改革、社会福祉改革、経済構造改革の五大改革(のちに教育改革を加えて六大改革)を掲げた橋本内閣だった。だが、これもことごとく失敗に終わった。失敗の度合いは細川内閣をはるかに越えた。日本経済を駄目にした。
行政改革は省庁の数を減らしただけだった。行政改革の本来の目的――国家公務員の削減、中央省庁の権限の縮小、財政の削減はほとんど手が着けられなかった。まさに名ばかりの行政改革だった。それどころか、結果から見ると、中央省庁の力が強くなった。中央省庁の権力は強化された。目的と結果が逆になった。
財政改革は消費税引き上げ、医療費引き上げなど国民負担を増大させただけである。実質は重税路線だった。
「金融ビッグバン」などと大騒ぎした金融改革の本質が、日本の金融機関をつぶし、米国ファンドに投げ売りすることに過ぎなかったことはすでに明白である。日本政府による国民の富の米国への強制的贈与である。これは今もつづいている。
社会福祉改革とは単なる国民負担増であり、抜本的改革は先送りされた。国民のための福祉の理念は捨て去られた。
経済構造改革は強者を保護し弱者をいじめるだけの規制緩和に過ぎなかった。
教育改革については、着手されないうちに橋本内閣は退陣した。
橋本六大改革は無惨な大失敗に終わった。橋本改革が生み出したものは日本経済の深刻な不況だった。橋本改革は日本経済を「流動性のワナ」に陥れた。日本経済はいまも不況の泥沼から抜け出ることができていない。同時に日本を米国の植民地化する方向へ一歩踏み出した。これは小泉政権に受け継がれている。
第三の改革内閣がいまの小泉内閣である。小泉首相が最重要課題として掲げた不良債権処理も財政再建も失敗した。だが不思議なことに小泉首相だけはマスコミの支持を受け続けている。細川政権と橋本政権は政権初期にはマスコミの熱烈な応援を受けたが、潮流が変わり落ち目になるや、マスコミは手のひらを返したように政府批判を始めた。
しかし小泉政権の場合は違っている。失業率が上昇しても、倒産が増えても、マスコミは小泉政権を支えつづけている。この裏側にあるのは、小泉内閣、官庁エリート、マスコミの癒着である。平成版大政翼賛会の成立である。このバックにブッシュ米政権がいる。日本は権力の分散という民主政治の基本を踏み外しつつある。
橋本、小泉両内閣に共通するのは、両内閣が米国政府が推進する米国流グローバリズムを支持し、これに日本経済を合わせるための改革をしようとしたことである。細川内閣がめざしたのは米国的政治の日本への導入だった。橋本・小泉両内閣は日本の社会経済システムを米国モデルへ改造することを目標にした。そして3内閣とも失敗した。繰り返すが、日本の実態を無視し、日本の風土、文化、習慣を短期間に強引に変えようとしたことが失敗の原因である。
言い換えれば、90年代から今日に至る改革の失敗の原因は、「米国流を導入すれば日本はよくなる」という固定観念である。日本の政治家、官界エリート、学者、マスコミがこの固定観念の虜(とりこ)になっていた。米国で高等教育を受けた政治家、エリート官僚、学者、ジャーナリストなど日本の指導層の狙いは、日本を米国化することにあった。
彼らは犯罪的なことばかりやった。余計なことをしなければよかった。彼らは何もすべきではなかったのである。そうすれば、日本はこれほどひどい状態にはならなかった。
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