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(回答先: 「宗教選択の自由」という概念のもつ巧妙な詐術 投稿者 中中 日時 2003 年 4 月 11 日 06:25:21)
中中氏のご意見には反しますが、「宗教選択の自由」は、日本独自の概念と考えております。というより、正直に申し上げると、この言葉は、寡聞にも文化的視点から氏の投稿が初見です。調べてみると(サーチエンジンで検索しただけですが)、ある訴訟の下級審判決で使われていましたが、ごく少数例と思っております。
「信教の自由」の内実についての私見は、別稿の後段を参照してください。
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/812.html
これを「宗教選択の自由」と言い換えること、あるいはその部分を強調することが、「日本独自」ではないかと申し上げているだけで、日本以外では、宗教選択の自由が否定されているという趣旨ではありません。念のため。
「宗教選択の自由」が、侵略を正当化する標語となり得るという可能性のご指摘なら異論はありません。しかし、欧米が「宗教選択の自由」を振りかざしているように考えておられるとすれば、それは、現在のイラクにおいても、また、歴史上の事実としても誤解と思います。欧米は武力や圧倒的な文化格差(価値判断ではありません。また、この種の布教はイスラム教も実績があります。)で改宗を迫ることはあっても(これも現実のイラク情勢ではありそうにない想定です)、宗教選択の自由という言葉も夢想外と思います。
さらに申し上げると、イスラム教社会と宗教選択の自由を対置させるのは、イスラム教のネガティブなイメージを根源とするのではないかと危惧します。(信仰告白のアラビア語も理解できずに挫折したレベルのイスラム教の知識ですから、教理からの説明はいたしません。文化的視点から氏とあっしら氏の具体的説明は参考にさせていただいております。)
欧米やアラブ圏は、その社会内部に他宗教のコミュニティーの存在を認めつつ、それぞれ、キリスト教とイスラム教による単一宗教社会です。
日本は、かつての首相が「日本は神国」と発言して嘲笑されていたように、世界でもまれな単一宗教でない社会です。文化的視点から氏のような論が出るのも、神道国教化の挫折という貴重で有益な経験をした結果と考えます。(同時に、赤十字の言葉や徽章に違和感を感じないという、世界でもまれな鈍感さを示します。)