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(回答先: 現在の阿修羅のニューマはある意味で危機的です。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 4 月 11 日 01:22:01)
阿修羅では、他からの転載も重要な情報源としています。コメントをつけず、あるいは、簡単なコメントをつけて転載する慣例のようです。コメントは、転載部分と区別できるなら、同一ページ内でつけることが掲示板の構造に整合します。仮に、Ddog氏が、このような方法で、グローバルアイを転載いただいたのであれば、(コメントにもよりますが、)あえて、意見を述べなかったかも知れません。「感想」レベルで申し上げると、「よくある意見」で「困りモノ」という程度です。(他者の意見に常に興味を持っております。しかし、あっしら氏が他の意見に対して、「犯罪的」と評されながら急いでコメントされたような刺激性はありません。国家破産などへのDdog氏の転載は、転載者の労に感謝しつつ、利用しています。)
私がDdog氏にコメントさせていただいたのは、ある種の記事を「健全な」というコメントをつけて転載しながら(ここまでは貴見として尊重します)、他の意見、あるいはこのような意見がないことを「偏っている」とされるDdog氏の主張が、自分の視点を一段高い場所に置いて、対等な議論を避けながら、自説を述べる傲慢で卑怯な方法と感じたからです。「傲慢で卑怯」は私の感覚に過ぎません。しかし、このような論者に対し、その依拠されているらしい「偏らない意見」というものについて、自分の言葉で解説いただくことを求めるのは、議論の場として当然と思っております。
今回は、ご回答をうかがえたのでしょうか?今回のDdog氏のコメントでは、「公平な観点」という新しい言葉が使われております。(最初は「健全」と「偏った」の対比ですね。同義ですか?)Ddog氏の「公平」や「健全」が、仮に「巨大マスコミの論調に近い」という「ニューマ」なら、それはこの掲示板の存在意義にもかかわります。
今回の本論ではありませんが(本論とは思いません。またDdog氏には「健全な」という同氏の論拠を説明いただいておりません。)、ご質問いただいたことに簡単に回答しておきます。
例示ですが、「同盟条約のために死ぬのが戦争だが、アメリカのイラク侵攻を非難するマスコミ人には、この武士道の精神が決定的に欠けている」は論理的に破綻しています。前段の論理的な帰結は、「同盟条約の破棄(死ぬのがイヤなら)」か「同盟条約の堅持(権利義務の確実な履行)」です。もちろん、「同盟条約の強化(イラク攻撃支持を見返りにした条約上の防衛義務の強化)」もあるでしょう。しかし、「同盟条約(この呼称も問題ですが)」に「武士道」は規定されていません。このような論を「論理的破綻を心情論で覆い隠した」と評しております。
最後に「憎悪の拡大再生産」を説明しておきます。「憎悪」は特定の対象に対する感情です。これを言外に人類すべてに対する憎悪のように拡大し、あるいは「パレスチナ、イスラエル」の比喩を持ち出して、「世界が最も不幸になる結果を齎す」とするのは理解できません。「無思慮な扇動者が現れた場合」とされるのも、具体的な「扇動者」の想定とその現実の可能性を説明していただかなければ、説得力がありません。私が問題にしているのは、対米盲従と対米憎悪です。Ddog氏がこれに同調されないなら、アメリカ(アメリカ人、ブッシュ政権etc.)に好感を持つべく、アメリカに適切な解説を加え、その拡大再生産を試みられることをお願いしたい。