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(回答先: あっしらさん,お答えします:中近東諸国で、宗教選択の自由は非常に限られています。 投稿者 文化的視点から 日時 2003 年 4 月 10 日 18:56:51)
これはこれは失礼しました。
ことほどさように中東情勢や湾岸地域の人々の生活に詳しいとは知らずに、失礼な口をきいてしまいました。深くお詫びいたします。
さて、懇切丁寧な反論を読ませていただき、とても参考になりました。この点についてもお礼申し上げます。
大きな口を叩いたわりには無知なのはわたし一人だったわけです。
さて、ところであなたは「宗教選択の自由」と「信仰の自由」の違いをどのように認識されておられるのでしょうか?
前者はおそらく法制上の問題として提起されるのでしょうし、後者はおそらく内的な信心の問題として意識される事柄でしょう。
また改宗の問題と宗教宗派選択の問題は信仰への出口と入り口の問題として取り上げられるはずです。
あなたの反論をさっと読んだだけですが、ここら辺りのことばどもの微妙でいて大きな相違がはっきりとあなたの中でも認識されていないような印象を受けました。
>元に戻すと、湾岸系アラブ諸国は生まれる子供は100%>法的に自動的にムスリムとなる。宗教選択の自由は100%封じられているという。
生まれたばかりの赤ん坊が宗教の選択をするわけがありませんので、上の表現は少しおかしいですね、あなたが問題にされているのは一貫して「個人」の「自由」の問題でしょう。自由意志の問題のひとつとしてイラク国民の「宗教選択の自由」という題材を出してこられたのです。
生まれつき法的にどのような宗教が国家から無垢で無知で意思をもたぬ赤ん坊に果たされようと、「宗教選択の自由」の問題とは何の関係もありません。
>湾岸系諸国に生まれたら、100%非ムスリムを選ぶ余地>はない。一般にムスリムは他宗教・非宗教転向は制度的に>できないことになっている。
制度的にできない。これはどのような「制度的」強制があるのかわたしはよく知らない。法的強制力なのか、あるいは共同体の暗黙の空気なのか。しかし信仰の問題は法や共同体の空気が規定できるものではなく、内的な欲求が決定することである。日本のヤソ教徒もそうだったし、浄土教信仰もそうだったがみな弾圧に耐えて改宗した。基本的に宗教選択の自由とはそういうことだ。まさかイラク政府が異教徒に対して信長のような血みどろの弾圧をしたわけでもあるまい。
>また一度ムスリムになった場合、教えは絶対的であり、イ>スラムへ深入りするための吟味は奨励されるが、批判は一>切許されない.特にモハメッドその人への批判・誹謗・非>難はカダフの罪として死罪に相当する。
これはたとえば仏教的にいうところの「法謗」の問題でして、教えを批判中傷罵倒することです。しかし、それがあなたにとっては宗教選択の問題と関係ずけて論じられているようですが、法謗と改宗の問題とは直接的に何の関係もありませんよ。従って、
>教えの批判的吟味は広い意味で宗教選択の自由(教えの構成要素の取捨選択)に含まれるだろう。
↑これはあなたの勝手な解釈です。
宗教的には関係ありません。
>信仰していた人が、信仰を棄てる自由はないのです.つま>り宗教選択の自由は非常に厳しい。
イラクの事情がどうであれ、「信仰していた人」=(赤ん坊のときに制度的に一方的に与えられた:従って自由意志で選んだ宗教ではない)宗教を信じている人は、意識の変化とともに、つまり内的な欲求によって、こころが改宗を求めるならば、いつでも、どこででも、いかなる状況でも、自由に改宗しますです。はい。