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(回答先: Re: 何となくですが。 投稿者 シーモア・グラース 日時 2003 年 4 月 02 日 15:49:47)
この戦争を見続けております。一日5時間も6時間もモニターをみつめ、キーボードを叩き、なにがこの戦争の実体なのか、見続けたいと思います。この戦争のはじめから終わりまですべてを、小さなエピソードの一つ一つまで記憶にとどめようと思います。将来このドラマに登場した人物たちが「回想録」を書くこともあるでしょう、読んで見たいものです。嘘で塗り固めたもんだったら「こいつ嘘つきやがって」と嘲ってやりたいのです。それだけの眼は肥やしたいとおもっています。見続けることは「アクティブ」でも「意思表示のひとつ」でもないことは、過去自分がそれを人に求め、そうでない他者を糾弾した経験からしても理解しています。そう思うならそうすることは絶対いいことだろうと思います。
ただ、私は見続けていたいのです。
あなたがおっしゃっていられる、私流にいえば「急激に奪われていく言葉の重みに対する恐怖」のようなものを誰かと共有すること、かって手に持った嬰児の存在を「掌のなかのプリンの不安感」でたとえたり、日常の些細なことの意図しないたおやかな表現の馥郁さを羽毛のようにむしられていきつつある恐れを共有しなければならないのだ、という風に思っております。わが国のはたまた遠つ国の為政者たちの言葉を聞きもらすまいと思っております。言葉の実体のなさが「言葉の重み」「質感」を奪うのであります。彼等のそういう言葉が世界を覆っています。それが戦時ということでしょうか。なにがホントでなにがウソか、私が見ているものがそもそも「ヴァーチャル」なものでそれによって導かれる答えもそれ以上ではないのではないか。
さはさりながら、私たちは私たちの人生で得てきた経験のもたらす「実感」、またそれを修正する「知恵」の集積もあるのであります。想像する力もあります。自分を信じたいと思います。
あなたのとまどいがちな書込みはとても説得のあるものだと思いました。(本当はかなりの手馴れであるかという疑いもありますが、それでもかまいません)。こういう時期だから個から発される言葉を新鮮に感じました。ありがとう。