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(回答先: 「救済」と「望ましい世界」 投稿者 あっしら 日時 2003 年 4 月 01 日 21:19:38)
あっしらさん、丁寧なレス、痛み入ります。
僕がこの稚拙な投稿でいいたかったことを先に済ませてしまいます。
今、ここ、ではない別の「望ましい世界」がどこかに存在し、それに向かって前進してゆくことが「進歩」であると定義され信じられていたのが、近代という時代だと考えています。いま、ここには「ない」と考えることがいかに多くの不平や不満を生み出してきたか。
「愛」や「自由」や「平等」等々、単なる概念に過ぎないものがなにか人類共通の価値のように信じられてきたことに、僕はひどく鈍感で無神経なものを感じるのです。
力なき市民さんにいいたかったことは、自分の外にあるそういった価値が実現されないからといって嘆く必要などないということでした。
おそらくイラクの人々のうちの何十万人か、あるいはそれ以上かがこの戦争で無意味に死ぬことになってしまうでしょう。
生き残った人々のうちの多くが陰惨な記憶と、新たにやってくる権威に対しての媚びへつらいによって、本来持っていた誇りのようなものを失うことになるでしょう。
(僕は殺されることよりもこのことの方が、より大きな被害だと考えます。)
テレビのモニタの中で起きていることに怒り、嘆くことはむしろ自然で当然ではあると思いますが、それよりも自分を救い、自分自信を安らかに保つことと、そして余力があるなら自分の周囲の人を少しでも笑わせてあげることが人一人にできる精いっぱいの行為ではないでしょうか。
以上のようなことを「力なき市民」さんに伝えたかったのです。
ま、もちろん、僕だってテレビに映るアホ小泉の顔見ているとそんな悟りきったようなこと言えなくなってしまうんですけどね。
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で、あっしらさん、こんばんわ。
初めてお返事をさせていただきます。よろしく。
「近代」がまもなく瓦解すると言うのはおおむね同意します。
この時代をもっとも良く特徴付けるものに「マルクス哲学」と「グローバリゼーション」があると思いますが、その両者の共通の特色は、極端な直線的時間(進歩史観というんでしょうか)の認識と、価値の一般化だと思います。
そしてその終焉近くに、一見それらと最も遠いところに位置するようにみえるキリスト教原理主義者=ブッシュ(ネオコン)が登場したのはとても面白い現象ですね。
僕は今度のイラクの悲劇よりも、数年前に起きたトロントでのWTO総会の大騒ぎの方が、この時代の趨勢を実によく見せている現象だと考えています。
あっしらさんのおっしゃる通り、
>物欲がなだらかな上昇過程で充足する「世界」
はもう信じるに値しないビジョンでしょう。
戦後の日本の労働者を暴動もなしに支えてきたのはそれ、上昇過程にあるのだという薄い幸福感だったのでしょう。
では、大多数の人々が、まあ多少のごまかしはあっても明日を少しでも元気に生きる糧となるものは、いったい何だろうと思います。
それにイラクでなされていることについての抗議も「反戦」や「平和」の連呼ではおそらく有効性を欠くような気がしています。なぜならそれらのメッセージは優れて「近代」のものであるからです。
このことに対する鋭い「抗議」の「言葉」が生み出されたときが本当に「近代」の終わりなのかもしれないと思います。
長々と失礼しました。