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(回答先: Re:「成長のない時代」について 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 3 月 22 日 14:53:23)
>私の場合、地球全体での循環に破綻が生じない系が、政治・経済を含んで安定的に成立する時代という意味で「循環が安定する時代」という言葉でなら理解できるのです。
私は、その意味で使っています。
>「経済支配層:国債金融家」がどういうシステムを手段としてとろうが「循環が安定する時代」を成立させる条件に合わなければ「彼ら」の望む「帝国」は実現しないと考えます。
それよりもまず、「循環が安定する時代」を到来させることが非常に困難だと認識すべきです。このまま手をこまねいていれば、「イースター島の悲劇」や「ナウルの破産」が地球規模で再現します。
※:ナウルの現状(現人類の石油文明の将来として考慮すべき)
http://www.asyura.com/0304/hasan24/msg/247.html
>それを実現させる時にどういう価値観を浸透させようとするのか、そして、それは地球上各地の条件に適応的な進化と文化 生成を果たしてきた人類にとって受容できる事だろうか・・こういう疑問を持っています。
「循環が安定する時代」に《なった場合》には、価値観については何ら問題ありません。人類が成長至上主義になったのは高々200年くらいのものであり、それ以前は「循環が安定する時代」を生きてきました。
現在の人々も成長至上の価値観を持っているわけではありません。誰も将来の破綻を望んでいるヒトはいません。終末主義者であっても、避けれられば避けたい、しかし、避けられないなら、それに備えよう、という発想でしょう。
問題は「循環が安定する時代」に《する方法》です。
私が「帝国」を云々するのは、政治・経済が国境を超えて地球レベルで融合しつつある現状を踏まえて、それを動かしている仕組み、それを操る能力がある人々(の利益)を見通さなければ、「循環が安定する時代」を実現するための方策も出てこないだろう、という認識に基づいています。