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(回答先: 帝国における所有と経営の分離 投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 3 月 22 日 01:20:19)
横からの飛び入りで失礼したします。
この流れの中で、お二人により「成長のない時代」という言葉が使われていますが、お二人におけるこの観念はイメージ的にどのようなものなのでしょうか。
私にとっては「成長のない時代」という言葉から、「来ざるを得ないかもしれない時代」についてのイメージは湧きにくく理解し難いのです。
私の場合、地球全体での循環に破綻が生じない系が、政治・経済を含んで安定的に成立する時代という意味で「循環が安定する時代」という言葉でなら理解できるのです。
そして、そこでは今までの意味における物質的次元での「成長」はありませんが、地球に他者とともに生きるという経験を基盤にした実存的次元での成長はあるし、この成長を誘い起こす「価値」に連動している通貨もまた循環するのではないかと感じています。
(これは、私にとってのリアリティある妄想です)
「経済支配層:国債金融家」がどういうシステムを手段としてとろうが「循環が安定する時代」を成立させる条件に合わなければ「彼ら」の望む「帝国」は実現しないと考えます。
それを実現させる時にどういう価値観を浸透させようとするのか、そして、それは地球上各地の条件に適応的な進化と文化生成を果たしてきた人類にとって受容できる事だろうか・・こういう疑問を持っています。
私は政治・経済の知識が欠如したまま、哲学的思考、直感的イメージのみで語っておりますが、「成長のない時代」についてのお答えがいただけますと幸いです。