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(回答先: Re: TVドラマ「おしん」を観て思ったこと。 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 3 月 19 日 23:38:03)
マルハナバチさん、こんばんわ。
実のところ、しばらくは「悪魔崇拝」という異様でおどろおどろしい言葉を使うことを躊躇っていました。
マルハナバチさんの「知性崇拝というよりも「知性優越幻想」が生む究極の差別としての、「双極の非人間化」」という定義は、示唆に富み、知的エリートを自認している人たちとその支配のなかでそれにひざまずいたり舌を出して生きている人たちのある相を極めてよく現していると思います。
そうでありながら、今後も折に触れ「悪魔崇拝」という言葉を使い続けるのは、「知性崇拝」や「知性優越幻想」ではすませられない人たちがいると確信しているからです。
「知性崇拝」や「知性優越幻想」は、支配−被支配の構造がある限り生じるもので、「悪魔崇拝」とは無関係に発生する精神情況です。
「知性崇拝者」が「悪魔崇拝者」と結びついているのが近代の特質ですが、それでも、「知性崇拝者」が必ずしも「悪魔崇拝者」であるわけではありません。(そこまで精神的に“上昇”している日本人はごくわずかしかいないはずです)
日本人は歴史的に「悪魔崇拝」や「悪魔崇拝者」から縁遠い位置にあったと思っています。農耕共同体ではそれらが発生する要素がまずありません。せいぜいが、“犯罪愛好者”レベルです。
いわゆる世界経済支配層の悪行や思惑についていろいろ書いていますが、それは、「知性崇拝者」や“犯罪愛好者”の範疇には収まり切れないものです。
“犯罪愛好者”は悪をなすことに喜びを感じる人だということができますが、「悪魔崇拝者」は、世界を支配するためであれば悪をなすこともいとわない人です。
彼らは、悪をなすことを許された存在もしくは悪を超越した存在だと自分のことを信じています。
「魔女狩り」・「“新世界”での虐殺と収奪」・「数千万人の犠牲者を出しや二つの大戦」・「その他数限りない戦争」・「数十億人を困窮に追いやる収奪」などの大罪を意識的に犯しても、罪の意識に苛まれない価値観(信仰)を持っているのです。
迷惑至極だがときには笑いも誘う「知性崇拝者」やせいぜいが数十人を殺したり強姦をしまくる“犯罪愛好者”とは質的に異なる“気高き”信仰者が「悪魔崇拝者」なのです。
この信仰がなければ、世界を大災厄に陥れる大犯罪の緻密な計画も立てられなければ、狂気に陥ることも避けられないはずです。
(「知性崇拝者」や“犯罪愛好者”であれば、せいぜいが平気で嘘をつけるくらいです)
「悪魔」から縁遠い歴史を歩んできた日本人の多くが、私が書いてきたような世界経済支配層の所業や価値観を読めば、なんてトンデモの妄想を書いているんだと思うだろうなと自覚しています。
そんな人間が同じ人間として生きていることが信じられないということでしょう。
(このような意識が、日本がこういう日本になった淵源ではないかとも思っています)
これまでの世界史を冷静に顧みれば、狂気や犯罪愛好者さらには単なる強欲者ではなしえない所業が継続的に行われたことがわかるはずです。
「悪魔崇拝者」たちは、強欲も信仰にまで昇華させ、大量殺戮も信仰に基づいて他者にやらせているのです。
日本の知的エリートの大半を占める「知性崇拝者」は、「悪魔崇拝者」にとって利用しやすい代理人というだけで、「悪魔崇拝者」とは別次元の存在です。
※ 余談ですが、話題のブッシュ親子ですが、親父ブッシュは、息子のブッシュが今回の“犯罪”で死罪となっても、嘆き悲しまない価値観を持っていると見ています。(ひょっとすると、既に、息子を信仰のために生け贄に捧げているのかもしれません)
親子の愛情を超越しなければ、「悪魔崇拝」にはなれません。
これまだどうでもいいことですが、英国のチャールズ皇太子は、長男ウイリアム王子を別の男性の精子で誕生させたとも思っています。(ウイリアム王子は弟と違ってチャールズ皇太子を感じさせるものがまったくありません)
英国ハノーヴァー朝に血筋に“歪み”を付けて、それでも英国王室を敬愛する英国大衆を見て悦にいるという嗜好です。
そのようなことが楽しめなければ、「悪魔崇拝者」とはいえません。
(ダイアナさんがそれを知っているのかどうか、それが離婚の遠因なのかもわかりませんが...)
余談部分は妄想ですから、本気にしないでくださいね(笑)