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(回答先: Re: 奇妙な問題ですので更に追求させて頂きます 投稿者 すみちゃん1 日時 2003 年 4 月 19 日 19:34:15)
本質論ではなく形式論に過ぎず、しかもベトナム戦争のことなので、下の方に。
ベトナム戦争は、アメリカ側から見ると、南ベトナムの治安維持と北ベトナムに対する空爆という二重の構造を有しています。前者は50年代末のフランス撤退の後を引き継いだアメリカの軍事顧問団によるサイゴン政府への軍事援助に始まり、サイゴン政権の弱体化に追いつめれながら大規模地上軍の派兵につながります。タテマエはサイゴン政府の要請に応じた国内の治安維持です。後者は(前者から派生したものですが)64年以降のトンキン湾決議に基づくもので、「アメリカ軍」に対する攻撃への反撃のための措置とされ、実際には空爆のみが行われています。
前者については、解放戦線も同じような政治的立場を主張していたはずです。解放戦線側は、南ベトナム領域の「解放」のために北ベトナム軍の援助を受けていると称することができます。ただし、サイゴン政府の存在を公然と認めれば、単なる治安維持ではなく、内戦(複数の支配機構の軍事衝突)のタテマエにより近づきます。
後には、カンボジアやラオス領内への地上軍侵攻も行われましたが、これも解放戦線への補給ルート切断を公称したもので、一応は前者の枠組みを維持しています。サイゴン政府は、ベトナム民主共和国の成立後に作られていて最初から「南」のみの領有ですから、一度も北ベトナムへの地上軍侵攻は検討されていません。
日本の政治論として考えれば、対米協力(従属)の実態を暴露しつつ、中立性維持、あるいは非中立的援助の中止を唱えることむ、この時期には効果が大きかったと考えております(もちろん参戦という比喩的表現も)。政府も今のように「法律の枠内でできる限り協力」などと言わず、協力(従属)を隠し、これを小さく見せることに注力していたようです。今では、アメリカの空母の出入港はほとんどニュースにもなりませんが、当時は出入港ごとに、それなりの規模の反対運動がありました。
それに対し、自衛隊を含む「兵力」の問題は今でもホットです。有事立法にも反対運動が成立し、護衛艦派遣にも「戦場でない」というゴマカシが必要になります。とりあえずは、安保条約やアメリカの空母を標的にするより、日本のイージス艦(や占領行政要員派遣)を標的にした方が建設的と考えています。