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人類は最初から奴隷
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投稿者 シュメール古文書 日時 2003 年 5 月 11 日 00:48:37:

(回答先: Re: 闇のドン 北の首領と米金融資本 投稿者 興味深いサイト紹介 日時 2003 年 5 月 08 日 20:11:49)


「人類を創世した宇宙人」 ゼカリア・シッチン著  竹内慧 訳  徳間書店

P.412
「 すべてのシュメールの古文書は、神々が自分たちの仕事をやらせるために人類をつくった、と主張する。マルドックによって発された言葉によって、「天地創造の叙事詩」は、その決定を報告する。

  私は低級な原始人をつくる
  「人類」が、彼の名前である。
  私は、原始的な労働者をつくる
  彼の役割は神々へ貢献することで、神々はくつろぐであろう。

シュメールとアッカドにおいて、「人類」という言葉は彼の地位と意図を示していた。人間はルル(「原始的な」)、ルル・アメル(「原始的な労働者」)、アウィルム(「労働者」)であった。人類が神々の使用人としてつくられたというのは、古代の民族にとって、とくに奇抜なアイディアではなかった。
聖書の時代、神は、「支配者」、「主権者」、「君主」、「統治者」、「主人」であった。「礼拝」として一般に翻訳されている言葉は、実際は「仕事」(avod)であった。古代と聖書時代の人類は、神を「礼拝」などしなかった。彼は神のために奴隷のように働かされていたのである。
聖書の神も、シュメールの話の神々も、人類をつくるやいなや、果樹園をこしらえて、そこで人類をこきつかった。

  主なる神は人を連れて行って
  エデンの園に置き
  これを耕させ、これを守らせられた

聖書は「庭で微風の中を散歩する」神の姿を描写する。なにしろ、新しい生き物が、エデンの園で庭の世話をしてくれていたのだ。神々が休めるように「労働者をよこせ」と叫んでいたアヌンナキを描くシュメールの古文書と聖書とでは、どれくらい話が違うだろう?
シュメール版では、人類をつくる決定は、神々の議会で採用された。驚くべきことに、聖書の創世記は、「神」を意味するために複数形のエロヒム(「神性」)という言葉を使って、次のように記している。

  そして、エロヒムは言った
  「われわれのかたちに、われわれをかたどって人をつくろう」

複数形の神は、いったい誰に向かって演説していたのか?そして、人類がかたどってつくられることになっていた複数形の「われわれ」とは、いったい誰なのか?創世記は、その答えを教えてくれない。アダムとイブが善悪を知る木の果物を食べたとき、神エロヒムは仲間に警告を発する。
「見よ、人はわれわれの1人のようになり、善悪を知るものとなった。」
聖書の天地創造の話は、創世記の他の物語のように、シュメールに起源があるので、その答えは、わかりきっている。多くの神々をひとつの最高神へと凝縮している聖書の物語は、神々の議会に関するシュメールの報告の編集版にすぎないのだ。
旧約聖書は、人類が神でもなく天国からきたのでもないことを明らかにするのに一所懸命であった。「天は支配者のものである、人には地球が与えられた。」新しい生きものは、アダマ(地球の土壌)でつくられたので「アダム」といわれた。彼は言い換えると「人間」であった。
「知識」と寿命を欠いている以外、アダムは、あらゆる点で彼の創造者(たち)の姿と形につくられた。その文書の中で姿と形の両方の言葉が使われたということは、人類が神(々)に身体的にも精神的にも、つまり、外面的にも内面的にも類似していたことを意味しているにちがいない。
聖書の神と彼の使節は、人に似ていて、人のように行動した。なぜなら、人は神々に似せて、神々のように行動するようにつくられたからである。しかし、この単純な事実には、大きな謎がある。新しい生きものは、どうやって、ネフィリムの実際上の身体的、精神的、感情的な複製たることができたか?
人類はどうやってつくられたのか?


西洋の世界は、長い間、地球を征服し他の生きものたちを支配するために、人類が故意に地上につくられた、という見解に固執していた。1859年11月、イギリス人の自然主義者ダーウィンが、「種の起源」を出版した。ほとんど30年にもわたる研究を要約して、その書物は、動物も植物も、すべての種が、生存競争の結果としての自然淘汰によって進化したと主張した。
ダーウィンの説が抱えている爆弾は、人類も含めたすべての生物が進化の所産である、という結論にあった。
教会の反応は激しかった。しかし、地球の本当の年齢や、進化、遺伝学、他の生物学的あるいは人類学的研究による科学的な事実が日の目を見ると、教会の反応はかき消された。しまいには、旧約聖書の言葉自体が、旧約聖書の物語を弁解の余地のないものにするように見えた。肉体的な身体をもたず普遍的で単独な神が、どうして「われわれのかたちに、われわれにかたどって人をつくろう」などと言えるだろうか?ここには明らかな矛盾がある。
しかし、われわれは本当に「裸の猿」以外の何ものでもないのだろうか?猿は、まさしく進化論的な距離だけわれわれから離れているのか?そして、とがりねずみは、まだ尻尾をなくして直立歩行するにいたっていない人間なのか?
この書物の最初に示したように、現代の科学者は、このような単純な理論に疑問をもつようになった。進化は、地球上で発達した生命を、最も単純な単細胞生物から人類まで説明することができる。しかし、進化は、ホモ・サピエンスの出現を説明することはできない。ホモ・サピエンスの出現は、進化に必要な数百万年という時間スケールからすれば、ほとんど一夜にして起こり、ホモ・エレクトゥス(原人)から徐々に起こるはずの変化を示す、進化の初期の段階の証拠がないのだ。
類人猿は、進化の所産かもしれない。しかし、ホモ・サピエンスは、なにか突発的な出来事によって生まれた。ホモ・サピエンスは、不可解なことに、30万年前に現れた。これは、通常の進化のスピードと比べて、数百万年も早すぎる。学者はこのパラドックスを説明することができない。しかし、われわれはできる。シュメールとバビロニアの古文書が説明できる。旧約聖書も説明できる。ホモ・サピエンスは、宇宙から来た神々によってつくられたのだ!

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コメント
 
1. 2016年9月24日 22:39:32 : NagHuxOjlE : 6DLuIslMnjM[1]
ところで、その神々は今、どこでどうしてるのだ?



2. 2016年9月29日 02:04:59 : AiChp2veWo : crH3ggO@jw4[637]
ニビルに戻っていらっしゃるようです・・。大洪水を生き延びたノアの後に、白人黒人黄色人が生まれ、世界に散っていったらしいが、ホモサピエンスと言われ、この三種の人類に、日本人は入ってないですな。黄色人種にも入ってなくて・・、言語も地球上で孤立言語であるし・・。

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