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Ddogさんの『世界同時デフレ深刻化の予兆』( http://www.asyura.com/0304/hasan25/msg/735.html )に対するレスです。
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>しかし、.......ハイパーインフレは何時くるんでしょう。残り30年のローン
>どうするんだ!
デフレ状況で国民生活が困窮化しエンサの思いが政治活動に結びつけば、国家の経済政策が「悪性インフレ」に転じる可能性は高いと思っています。
>経済理論がまるで通用しないというのが21世紀初頭の世界経済です。
経済理論は、現実の経済事象の変動を分析して構築されるものです。
「近代経済システム」が継続している21世紀初頭の世界経済に対して従来の経済理論がまるで通用しないというのであれば、それは、経済理論が誤っているか不十分だからに他なりません。
>ハイパーインフレの前に世界的デフレの深刻化による。通貨切り下げ競争と、ゼロ金
>利とマイナス金利の世界の到来が先で、世界同時不況の深刻化の次に到来する世界だ
>と思います。
「通貨切り下げ競争」は、デフレ不況を緩和もしくは解消するために起きるという予測だと思いますが、管理通貨制と変動為替相場制を基礎とする世界ではそのようなことは起きません。(通貨安で輸出拡大や輸入物価上昇を実現しデフレ不況を解消するという思惑)
「通貨切り下げ競争」は、国際取引が金本位制もしくは金現物の決済で行なわれていた戦前の大恐慌で横行したものです。
● 金本位制での「通貨切り下げ」効果
金本位制であれば、「通貨切り下げ競争」はそれなりの合理性があります。
金本位制の「通貨切り下げ」は、自国通貨基本単位が価値実体としている金の量を減少させる「平価切り下げ」です。
たとえば、金1g=1円=1ドルの状態を前提として、1円を金0.8gに変更すれば、円とドルのレートは1ドル=1.25円になります。
このような変動により、まず、自国通貨の発行可能数量が増大します。
(20%の平価切下げにより、保有している金量は同じでも、通貨発行量を20%増加させることができます)
増加できる通貨が民間貸し出しや財政支出を通じて経済活動に流れ出せば、それが需要となるので、同じ供給量であれば確実に物価は上昇します。
次に貿易を考えてみます。
日本が供給活動を自給自足できると想定すれば輸入はゼロですから、単独の平価切下げで為替レートが安くなっても、日本で生産する財の価格は変動しないで済みます。
日本で10円で販売できる自転車は、1ドル=1円のときは10ドルの価格ですが、1ドル=1.25円になれば8ドルになります。(輸送費などは0と想定)
これは輸出競争力が高まったことを意味するので、自由貿易であれば対米輸出は増加します。
しかし、日本が原材料や資本財などを輸入に依存しているとしたら、円安の効果は、輸入財の価格上昇を通じた国内の財価格上昇により、国際競争力がその分打ち消されることになります。(満州などブロック圏からの輸入は、金での決済を強制されないのなら、国内取引と考えることができます)
円安により自転車の国内価格が12円になればドル建て価格は9.6ドルになり、ぎりぎり競争力の上昇が実現でき、13円になれば10.4ドルになるので、逆に競争力を低下させることになります。
現在でも経済論理ではなく意図的な円安政策が求められたりしていますが、無条件に円安で国際競争力が上昇するという考えは虚妄です。
金本位制の「平価切下げ」(通貨切り下げ)でも、あらゆる国家が同じ率で「平価切下げ」を行なえば、国際的価格競争力は結局変わりません。
また、「平価切下げ」を行っても、貿易赤字で金が流出することには変わりありません。(みんなが「平価切下げ」を行ない同じ貿易状況であれば、通貨表現での貿易収支規模は変わっても、決済に必要な金の量は変わりません)
そのようなものであっても、「平価切下げ」により、金本位制で縛られている自国通貨の発行量を増加し「デフレ不況」を緩和できるというメリットを享受することはできます。
● 変動相場制で「通貨切り下げ競争」はない
変動相場制ではどうでしょう。
まず、通貨発行量が保有金量に縛られていない管理通貨制では、「平価切下げ」というかたちでの「通貨切り下げ」はできません。
できるのは、経済論理や政策を通じた「通貨切り下げ」(為替レートの下落)だけです。
「通貨切り下げ」を政策を通じて行なう手法としては「プラザ合意」のような政治的デタラメもありますが、基本的には、自国通貨への需要(国内への投資)を抑制する金利低下政策になります。(米国など外国が高金利政策を採ることも同じ結果ですが、主体的な「通貨切り下げ」ではないので除外します)
これは、あらゆる国家が金利0%になれば、この政策による「通貨切り下げ」競争は終わります。
もう一つは、積極的な対外投資を促すことで円安に誘導するという方法が考えられます。
既に5兆円ほどの対外投資があるので、それを上回る対外投資を実現しなければなりませんが、それが行なわれれば円安方向に変動するはずです。
しかし、これは、国内で使われる通貨量がさらに減少しかねない要因でもあります。ドルなどに転換した日銀券を貸し出しできればそれを補えますが、ただでさえ貸し出し残高が減少している状況ですからそれが実現できずに、デフレが深化する可能性があります。
この場合は、円安により輸出拡大&輸入物価上昇というインフレ要因と国内で使われる通貨量が減少するというデフレ要因のせめぎ合いになり、明確にデフレを解消できるとは言えません。
ずばり円安だけを実現するのは「プラザ合意」のような強引な政治的手法しかありませんが、そのためには「プラザ合意」と同じような“国際協調”が必要です。
このような“国際協調”を日本政府が引き出せるかどうかという問題を脇に置くとしても、“国際協調”ですから、「通貨切り下げ」競争という前提にはふさわしくありません。
経済論理として「通貨切り下げ」を実現する方法は、諸外国以上にインフレ率を高める経済状況を生み出すことです。
(デフレ解消のために「通貨切り下げ」というのに、インフレにしなければならないのというのは自己矛盾です。しかし、財の交易条件という経済論理で「通貨切り下げ」を行なう手法はこれしかありません。逆に言えば、諸外国以上にデフレ率が高い国民経済の通貨の為替レートは高くなって当然ということになります)
デフレ解消がテーマなので、インフレを通じた「通貨切り下げ」を説明してもあまり意味がありませんが、そうなる論理を簡単に説明します。
変動相場制で1ドル=1円だと仮定します。
米国はインフレ率が0%だとします。
日本は財政支出を拡大させて5%のインフレを実現し、10円の自転車が15円になったとします。
このとき、円ドルレートが変わっていなければ、自転車の輸出価格は15ドルになり、対米輸出は絶望的になります。
他の財も同じような価格上昇ですから、驚異的な価格競争力を持っている財だけが輸出されることになります。
(米国で需要がある財を日本でしか生産していなければ、その財は、量が減るとしても輸出は持続し、輸出額そのものは同程度になると思われます)
逆に、アメリカで10ドルで出荷できる自転車は、日本向けに10円で輸出できるので対日輸出が驚異的に増加します。競争関係にある他の財も同じような傾向を示します。
日本のインフレの進行とともに、日本は貿易収支が悪化する方向に進み、米国は貿易収支が改善される方向に進みます。
この過程を通じて、為替レートは1ドル=1.5円に調整されるはずです。(金融取引や投機はないとしてですが、あったとしても中長期的にはこの水準に収斂します)
日米で水平分業が構造化しているのであれば、このような為替レート変動がなくとも、高い日本製品を買わなければならなくなる米国が、意図的に為替レートを1ドル=1.5円に調整するはずです。
(米国は、4千億ドルもの貿易収支赤字を計上しているように、絶対的な供給力不足状態にあります)
● 自国通貨安で交易条件は改善するのか
インフレを起こして為替レートを安くさせても、実質コストは変わらないので国際競争力が高まるわけではありません。
また、インフレを起こさずに為替レートを安くしたからといっても、必ずしも国民経済総体の国際競争力が高まるわけではありません。
意図的な円安が国際競争力の上昇に貢献することもありますが、アジア諸国とのあいだで水平分業が進んだ現状においては、輸入財の価格上昇が国際競争力を打ち消してしまいます。
(一部の輸出企業は好条件を手に入れますが、それで得た利益は現状のように再投資に回らない可能性が高いのです)
「円安信仰」は、原材料のみを輸入し高付加価値財を国内で生産しているような時期にのみ通用するものです。
原材料・資本財・最終消費財の輸入価格が上昇すれば、可処分所得の総和を限界とする個人消費の支払い先が輸入商品に向けられ、国内製造品に対する需要が減少することにもなります。(可処分所得の総和は減少傾向にさえあります)
この場合、国内製造品にデフレ圧力が加わることになります。
国際競争力は、他の国より高い生産性の上昇が源泉です。そして、他の国では生産できない財を生産できる産業力が何よりの国際競争力です。
生産性の高さは、デフレ圧力そのものであり、円高圧力そのものです。
デフレ圧力をデフレとして顕在させない、円高圧力を円高として顕在させない国内経済政策が求められます。
そのためには、フローである可処分所得とりわけ消費に向けられる可処分所得の増加をはかる政策が必要です。
企業の設備投資も、個人消費の拡大を起動力として行なわれるものです。