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2003年5月16日 金曜日
◆「ポツダム宣言」の読み方
日本人を絶滅、あるいは奴隷化する、こう書くと、読者の中には「それは筆者の思いすごし、想像にすぎない」と反論する人もあるだろう。民主主義のリーダーを自認するアメリカが、そんなことを考えたりするはずもない。そう思う人は少なくないはずである。もちろん現実には、アメリカは日本に対してそうした「解決策」を行使しなかったわけだが、そのプランが頭をよぎらなかったかといえば、そうではなかった。
その何よりの証拠が、かのポツダム宣言である。一九四五年七月二十六日、トルーマン(米)、チャーチル(英)、蒋介石(中華民国)の三者はベルリン郊外のポツダム宮に会合して、日本への降伏勧告を行なった。このポツダム宣言の中で、最も電要な項目は何かと間われれば、筆者はためらうことなく次の一節を挙げるだろう。
『吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし。』(ポツダム宣言・第十項)
ポツダム宣言の急所はまさにここにある。戦争犯罪人を引き渡せば、「日本人を民族として奴隷化」もしないし、「国民として滅亡せしめ」る気もない。だから、安心して連合国に降伏せよ。ポツダム宣言を通じて、英米および中国は最大限の譲歩を示してみせたのである。
今さら歴史の講義をするまでもなく、過去において白人は世界中で「民族絶滅」、「民族の奴隷化」を行なってきた。ペルーにおいてインカ帝国は滅亡させられた。アフリカの諸民族は奴隷としてアメリカなどに売られた。中国人もまた、この点では白人と同様である。
有色人種は白人に負けたら、何をされても文句を言えないし、そうすることは「正義」に適うと思われていたのである。ましてや日本の場合、放っておけば、かならずや報復戦をしかけるに決まっている。目本を消滅させるのが英米にとっての国益である。しかるに、たとえ日本が降伏しても、それだけは勘弁してやることにした。これほど寛大な条件はあるまい。ポツダム宣言は、こう言っているのである。
◆日本人を精神的奴隷にしようとしたアメリカ
ポツダム宣言の解釈については、戦後の日本でもさまざまな議論が行なわれてきた。日本は無条件降伏したと言うが、ポツダム宣言は「降伏のための条件」を示しているのであって、日本に対して無条件降伏を要求しているのではない。無条件降伏を要求している対象は日本の軍隊であり、日本そのものではない。正しくは「日本軍が無条件降伏した」と言うべきである。そう主張する論者は少なくない。
たしかに、それはそのとおりなのだが、そうした論者たちも見過ごしているのが、前出の第十項である。この項目を見れば、英米が当時の日本に対して「最大限の譲歩」をしているのは明確であって、無条件降伏のはずがない。ところが、西洋史に疎い日本人には、このポツダム宣言の意味するところがよく分からない。敗戦時の指導者たちも「はたして敗戦後も国体は護持できるか」、つまり皇室は維持されるのかという問題で頭がいっぱいで、英米の真意が見抜けなかった。
もし、この第十項の意味をきちんと理解していたら、戦後の日本でアメリカが何を行なうかも予想できたはずなのに、それができなかった。ここに戦後の蹉跌が始まるのである。たしかにポツダム宣言によって、英米は日本民族の絶減、奴隷化は放棄した。しかし、その一方で、日本による報復の危険性は依然として残る。この危険性を最小限に抑えるにはどうしたら、いいか。そこでアメリカが考えたのが、日本人の愛国精神を除去することだった。
日本人を実際の奴隷にはできなくても、精神的な奴隷にしてしまえば日本がアメリカに復讐戦をすることはない。そこで行なわれたのが、「教育改革」であったというわけだ。日本の教育から徹底して民族教育の要索を除去する。非アメリカ的な教育をすることによって、日本がふたたび強国になる道を塞ごうというのである。
◆教育滅びて、民主主義も資本主義も朽ち果てた
アメリカ自身による日本の教育の「非アメリカ化」。このアメリカの目論見は、見事に成功したと言うべきであろう。まことにルソーやジェファソンの指摘は正しかった。教育なきところに、民主主義は育たない。教育が骨抜きにされた結果、今の日本に、対米報復戦を行なえるだけのパワーやガッツなど、どこにも見あたらなくなった。
それどころか、もはや民主主義も資本主義も機能しなくなって、日本そのものの明日さえ怪しくなっている。かつて世界の半分を敵に回して戦った国だとは思えないほどである。最近では、半世紀前に日本がアメリカと熾烈な戦いを繰り広げたことなど、ちっとも知らない若者さえいると言うが、これも驚くには当たらない。事実、今の日本はアメリカの五十一番目の州になりたがっているくらいなのだから、そう思うのは無理もない。
民主主義教育、民族教育が行なわれないから、政治家も官僚もますます堕藩した。政治家は「国家のためには命を捨てても惜しくない」と思わないから、大胆な改革など行なえない。官僚に反抗されたら、へなへなと腰砕けになる。
その官僚もまた「自分たちは国家、国民への奉仕者である」という観念がないから、国民の税金から出た機密費を流用しても、良心の呵責を覚えない。白分たちの安楽こそが最優先で、天下り先の特殊法人を守るのには熱心だが、血液製剤で国民が死のうと責任を感じなくなってしまう。
さらに付け加えれば、戦前には「お国のためにならない政治家」を暗殺する右翼や、国家権力に実力で対抗しようと考えた左翼が存在したが、そうした勢力は右も左も消えてしまった。政治家の暗殺は、一九六〇年に社会党委員長の浅沼稲次郎が山口二矢に刺殺されて以来、絶えてなくなった。
その代わりに大量出現したのが、いわゆるカルト宗教である。カルトの教祖たちは、学校教育に満足できない若者たちを吸収することに成功し、ついに国家転覆を実行しようとした。これらはすべては戦後教育のもたらした荒廃である。
◆「自主憲法制定」だけでは何も変わらない
本書で何度も強調しているように、憲法とは「慣習法」である。たとえ成文化された憲法があろうと、それが実際に行なわれているかどうか、 また、行なわれ ているとしても、それがどのように行なわれているかを見なければ、「憲法が分かった」とは言えないわけである。
その意味で、憲法とは日本人が考えているよりもずっと幅広いものであると言える。そして、その中には教育制度もまた含まれる。憲法を活かすも殺すも教育次第。こう言ってもけっして過言ではない。いかに立派なデモクラシーの憲法を公布しようとも、国民の間にデモクラシーが定着していなければ、その憲法は機能しない。(「日本国憲法の問題点」P165-P170)
ようやく有事法案が衆議院を通過しました。しかしながらその法律の対象となる自衛隊は、憲法では認められていない団体だ。実際上は憲法の条文は空文化している。司法も自衛隊を憲法違反とは判決を下せないようだ。日本はこのように、立法も司法も行政も満足に機能しなくなってしまった。
日本人の憲法論議を聞いていると、そのリアリティーのなさに失望を感じざるを得ない。条文をいかに解釈するかの議論は憲法の本質から外れた問題である。現在の憲法がいかなるアメリカの意図で作られ、それを押し付けてきたかを知らなければ、憲法問題は同じところを堂々巡りするだけなのだ。
結局のところ現行憲法が存在するかぎり、日本はアメリカの植民地であることから脱することは出来ない。ポツダム宣言において日本は奴隷化を免れたはずだが、ソ連に抑留され奴隷労働に従事させられた大勢の日本人がいることも忘れてはならない。それほど戦争に負けると言うことは、敗戦国に大きな災いを残す。
日本は60年近くたっても、いまだに敗戦のショックから立ち直ることが出来ないでいる。その原因の多くは、日本の戦後の学校とマスコミによる洗脳教育が、敗戦後遺症を長引かせている。憲法改正を言うだけで軍国主義者、右翼とレッテルを貼られ、政治家も政治生命を失った。
日本の敗戦ボケから覚醒するには、日本に北朝鮮のミサイルが10発ぐらい落ちないと、目が覚めないのだろう。戦前の日本が戦争へと暴走したのも、一種のマスヒステリーなら、戦後の敗戦ボケもマスヒステリーである。西欧人なら戦争に負けたら、いかに報復するかと考えるのが普通だ。
だからこそアメリカは日本に「平和憲法」と称して現行憲法を押し付けた。いまやその教育の成果が実を結び、日本の若者達は、ハンバーガーとコーラを食べ、星条旗がプリントされたTシャツとジーンズをはいて、髪の毛は金髪に染めている。若手政治家も官僚もアメリカの言いなりになっている。日本の若者は外見はともかく中身はアメリカ人になりきってしまったようだ。
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