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(回答先: 参考:週刊文春2002/11/28萩原遼“独占会見 亡命北のナンバー3黄ジャンユプ書記も「有本恵子さんら八人は生きている!」” 投稿者 YM 日時 2003 年 5 月 14 日 01:05:45)
『諸君!』2003/1
「金正日ほど臆病な男はいない」
〃めぐみさんら八人は生存している。全員生還に向けて、政府はもっと強気で押しまくれ〃
佐藤勝巳・萩原遼対談より萩原氏の神発言(笑)
「十月二十九、三十日、クアラルンプールでの日朝交渉における日本側の姿勢は、いままでの土下座外交とは全然違うものでしたね」
「岩波書店の月刊誌『世界』十二月号の編集後記に、同誌編集長がこんなことを書いています。十月なかば、編集長は招かれて韓国に行ったそうですが、そのとき出会った韓国人が彼にこういったという。「拉致は擁護できない犯罪だ。しかし犯罪『告白』後、北朝鮮政府が取った措置は、順序を踏んで、それなりに誠意を尽くしているではないか」。事実を認め、謝罪もしたし、責任者の処罰、原状回復と順序を踏んできちんとやっている。翻って、日本政府は過去の侵略行為につき、「これほど分かりやすい措置を取ったことが一度でもあったか。少なくとも、我々には伝わっていないよ」と。私は、十一月のなかばの二日間、取材のためにソウルを訪れました。そして北朝鮮で辛酸をなめ、命からがら国境を脱出して、いま祖国民主化のために結集している「脱北者同志会」の人々に会って話をきくことができた。もちろん、いま引いたようなふやけた発言をする人は一人もいませんでした。全員が異口同音に、〃日本はよくやった。今後も是非、これでやってほしい〃と称賛していました」
「今回、思いがけず、黄ジャンユプ氏とも会うことができました。朝鮮労働党書記の地位にあった黄氏は、九七年に北京で韓国大使館に身柄の保護を求めて亡命し、以後は、祖国民主化のために活発な言論活動を展開してきました。私は氏の著書を二冊、邦訳しています。現在、黄氏は、北朝鮮への宥和路線に傾く金太中政権によって、不当な軟禁状態に置かれています。」
「そのとき、私は単刀直入に聞いてみました。「拉致は、たかだか十数名をめぐる小さな問題だ、日本がかつて何百万人かを強制連行したことに較べれば、とるに足りない、という理屈が、北朝鮮からも日本国内からも聞こえてくるが、あなたはこれについてどう考えますか」と。黄氏の答は簡単明瞭でした。「その言い分を認めるなら、話は、秀吉の朝鮮出兵からはじめなければならなくなりますよ」と。つまり、歴史を遡って、際限のない、無意味な議論の泥沼に足を踏み入れなけれぱならなくなる、というわけです」
「さらに黄氏はこうもいった。「戦争というのは無慈悲に人間を動かすものです。そういう時期に起きた事件と、平和な民主主義の世の中で起きた事件とを、どうして同一次元でとらえられるのか」」
「十月六日付「朝日新聞」に寄せた拙文のなかでも述べたことですが、そういう人たちの理屈をたとえていうならば、いま目の前で起きている殺人事件と六十年前に起きた殺人事件とを、同時に解決せよ、といっているようなものですね。まず、現在進行形の犯罪をやめさせること、現在犯人の手にかかって苦しめられている人を救い出すこと、それが緊急の最重要課題です。六十年前の事件については、そのあとでじっくり証拠固めをやり、証人を連れてきて裁けばいい。私の場合、朝鮮問題に取り組んだそもそもの出発点に、植民地支配に対する責任問題がありました。不幸な過去を清算し、朝鮮と日本の間に真の友好を築く、その掛け橋になりたいと願って、朝鮮語の勉強をはじめたのです。植民地支配にたいする贖罪意識に関しては人後に落ちない自負がある。
しかし、拉致問題と過去の贖罪とを同列に論ずるような暴論に対しては、断固として反対しなければならないと考えています。その意味で、今回の黄ジャンユプ氏の言葉には大変勇気づけられました」
「朝鮮問題への腰の引けた姿勢はマスコミ界にも根深いものがありますね。十月の末に、テレビ朝日系の番組に生出演し、朝鮮総連を俎上に上げて、「祖国の代理店のようになって拉致にも協力した」と批判したことがありました。その番組の終りに司会者が、突然、「不適切な発言がありました」と詫びの言葉を述べた。じつは、私は、ビデオの予約録画ができず(笑)、番組全体をよくみていなかったために、放送当時は、司会者が何について詫ひだのか、わからなかったのです。のちに、『週刊新潮』に指摘されて、「ああ、私のことだったのか」と初めて知った。遅ればせながら先日、「発言者自身に断りもなく詫びるとは何事か、そういう軽率なことはやめてくれ」と、テレビ局に書面で抗議しました。確かに、佐藤さんのいわれる通り、朝鮮問題に関わる以上、摩擦を恐れていてはなにもできない。私もそのことは日々、実感してきました。朝鮮語の習いはじめは、北の人からも南の人からも珍しがられ、笑顔で迎えられます。しかし、日朝問題について、一歩一歩深みにはまっていくにつれ、双方の顔から笑いが消えていくんですね。笑いが消えるときから日本人としての本物の朝鮮研究が始まる、というのが私の実感です」
「その件についても、黄ジャンユプ氏に尋ねました。黄氏は「八人全員、生きているのは間違いない」と断言しました。一人くらいは、事故か病気で死んだかもしれないが、八人死亡など、とんでもない話だ、と。黄氏はさらにいった。「彼らは重要な地位についている人間で、日本には帰せない。だから死亡ということにせざるをえなかった。最終的には、彼らを交渉の際のカードに出してくるだろう」と。かつては〃拉致などありえない〃といっておきながら、必要に迫られれば平然と前言を翻す。北朝鮮は何から何まで嘘で塗り固めたような国です。生きているものを死んだというくらいの嘘は平気でつくと思っていた方がいい」
「全員生存、という前提に立って、とことん真相究明をはかっていくしかありません。でたらめな〃死亡診断書〃の矛盾を徹底的に衝き、強く強く押していかなけれぱならない。家族と「救う会」の頑張りにより、国交正常化交渉によって拉致問題の解決をはかっていくという、いわゆる「出口論」は完全に破綻したと思います」
「私は国交回復交渉への入り口として、遠大な考えを持っています。まず、実態は百人以上に及ぶという拉致問題をすべて解決する。それから、六〇年代の帰国運動で帰っていった三十万、四十万の、日本での協定永住権を持つ在日朝鮮人と、その日本人妻たち、さらに二世、三世たちを含めて、すべて一旦日本に戻す。彼らもまた、形を変えた拉致被害者であると私は考えていますから。そのうえで引き続き北朝鮮に住みたいという人がいるなら、それは自由にさせればいいのです。もちろん費用は多少かかるかもしれませんが、裕福になった中国に、なおODAを出し続けるくらいなら、その分をあてればいい。終戦直後のことを考えてみてください。あの疲弊しきったところへ二百数十万人が帰ってきた。国民的合意があれば、四十万人はさほどのことではありません」
「金正日が、〃経済改革〃と銘打って、新義州に経済特区を作りはじめたあたりから、私は「この男はもう万策尽きたな」と思いはじめました。これまで私は、アメリカが極東地域の安定のために現体制を残すだろうという意味で、〃北朝鮮崩壊説〃をとらなかったのです。しかし、いまは「これは案外、崩壊は近いぞ」と思いはじめています」
「黄ジャンユプ氏はこうもいっていました。「日本人は金正日の核桐喝をけっして恐れてはならない。なぜなら金正日ほど臆病な男はいないからだ」と。金正日は墜落事故を恐れて飛行機にも乗れない臆病者だそうです。実際、最近のモスクワ訪問の際も.列車を使い、しかも停まる駅ごとに住民を集めて歓迎集会をやらせるものだから、費用がかかってしょうがないらしい。金正日は、ロシア側の甚大な負担に恐縮して、プーチン大統領に「今度は飛行機で来ます」といったとか(笑)。三百万の国民を餓死させる一方で、外国からの援助を、わが身を守るための防衛体制強化のために惜しげもなく費やす。そんな臆病な人間が決戦に打って出ることなどできるわけがない、と黄氏は述べた。人道的な見地から、北朝鮮への援勘を急ぐべきだという声はいぜん高い。しかし、我々は九〇年代なかばの教訓を思い返すべきでしょう。緊急援助で、国民三百万人の餓死はくいとめられたのか。否。すべては武器に変わったのです。だから、現状では、ビタ一文、コメ一粒、与えてはならないのです。徹底的な経済封鎖で、金政権を崩壊へと導くこと、それが、極東アジア安定への出発点となることを疑いません」