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権カに尻尾を振る巨大メディアよ、民主主義を殺すのか
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投稿者 名無しさん 日時 2003 年 5 月 11 日 03:16:22:

(回答先: ウソで塗り固められた「個人情報保護法」】 投稿者 名無しさん 日時 2003 年 5 月 09 日 23:46:36)

「週刊現代・臨時増刊号」 2003.05.02
 断固拒否!「個人情報保護法」の正体暴く より

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 権カに尻尾を振る巨大メディアよ、民主主義を殺すのか
 平野貞夫(衆院議員・自由党)

 個人情報保護法は私たちが自自公連立を組んでいたころに取り組み始めた法案です。インターネットの普及や行政の電子化が進むにつれて、個人情報を保護する法制を整える必要が出てきたのです。
 このとき、私たちの念頭にあったのは、官僚による個人情報の不正な使用を食い止めようということだった。官僚を規制しようというものだったんです。一方、民間で扱う個人情報に関しては、個別法で定める。金融機関と医療機関や教育現場では、扱う個人情報の性質が違えば、規制の方法も異なるはずですから。包括的な法律は作らない。そういう答申を政府の審議会が出したんです。
 ところが、政府が提出してきた法案は、私たちが考えていたものとはまったく姿を変えていた。
 官が扱う個人情報の保護については形だけのもので、民間事業者への規制ばかりに重点が置かれている。しかも、個別の事情を考慮せず、一括して規制対象としてしまっている。さらに言えば、メディア規制にまで踏み込んだ内容となっていた。官僚が規制される法律から、規制する側にまわる法律にすり替わってしまったんです。

 官僚、政治家、メディアが国民を裏切った

 この法案を提出したとき、官僚は焦っていました。当時、地方分権や行政改革によって、彼らの既得権益は徐々に失われていた。必死に生き残る道を探していたとき、目の前に個人情報保護法があった。この法律を利用して、官僚のもとに情報を独占し、彼らによる国民支配のシステムを構築しようと考えたわけです。
 もっとも、官僚が考えるだけならば、この法案は成立しません。こんな法案が国会を通過するわけがないですから。ところが、官僚と手を結んだ政治家がいた。それが自民党の議員、とりわけ抵抗勢力と呼ばれる人たちでした。
 個人情報保護法は、政治家にとっても非常に旨みのある法案となっています。「主務大臣規定」によって、政治家の都合のいいように報道を制限することができる。いくらでもスキャンダル潰しに利用できると、官僚に吹き込まれたんです。ちょうど、森政権がスキャンダルに襲われていた時期でした。権益を守りたい官僚と、醜聞を恐れる政治家が結託したのです。これは国民に対する明らかな裏切りです。
 再提出された個人情報保護法をめぐる論議では、さらに根深い問題が露見してきました。それは「巨大メディア」と呼ばれる存在です。
 個人情報保護法では、テレビと新聞を報道規制の対象から外しています。これは官僚による巧妙な懐柔です。だが、巨大メディアはこぞって、この甘い誘いに乗ってしまった。官僚、政治家に続いて、巨大メディアも国民を裏切ったのです。
 権力の監視こそがメディアの本来の役割だったはずです。にもかかわらず、中には個人情報保護法の試案まで作って、メディア規制の片棒を担ごうとする新聞が現れた。もはや巨大メディアは、権力と一体化してしまっている。彼ら自身が権力と化しているんです。
 私が官僚として働いていたころ、官僚はたしかに公僕でした。新憲法に共感し、国民のために働こうとする役人が多かった。ところが今は、官僚が権力を志向するようになってしまった。そして政治家は官僚がぶら下げるエサに飛びつく。そこに巨大メディアまでが相乗りする。
 国民の声を代弁すべき大メディアに大きな問題がある。日本の民主主義は死に瀕しています。


 日本人はこの法案がいかに危険かを知らない
 トニー・ラズロ(ジャーナリスト)

 この法案ができる以前の問題がまずあります。日本では、朝刊も夕刊も同じ新聞をとっている人が多い。一生同じ新聞という人も、少なくありません。つまり、情報を受けても、それを比較して考えていない人が多いのです。他の国では、たいていそうではありません。たとえば朝刊がA紙なら夕刊はB紙とか、今月はA紙で来月はB紙、といったような買い方をする。だから、いろいろなスタンスの情報を目にしているのです。
 私が使っているウェブサイトでは20ヵ国以上のメディアのニュースを見ることができますが、それぞれのメディアによって、スタンスが違います。スタンスの違う情報を多く受けていると、市民としての発見も多い。この、自由に報道ができて、それを誰もが受けとることができるという「情報の多様性」が大切なのは言うまでもない。日本は、いまよりこの自由が広がったほうがいいと思うのです。
 ところが日本では、いまこの法案によって「表現の自由」が規制され、奪われかねなくなっている。
 もともと情報の受け取り方に偏りがあるのに、ますます不健康な状況になろうとしています。

 失って初めて気づく「表現の自由」の価値

「表現の自由」が奪われるということは、人間の歴史上、けっこうありました。ただ、その時点では、なかなか気づかない。だからこそ、そうした事態に警告を発する人は、工夫が必要です。たとえばこれから先、憲法問題が大きくなったとき、情報がより少なくなっていたのでは、議論がよく見えずに改正の是非が決まってしまう。そういう事態が十分に考えられるのです。
 情報が規制されるのは危険です。たとえば薬害エイズのような問題が起こったとき、いまより少ない情報で市民が当局を追及できるかといえば、誰もが疑問なはずです。
 アメリカのような情報産業の先進国でさえ、「表現の自由」は危うくなっています。数十チャンネルもあるケーブルテレビも、ほとんどアメリカ産。アメリカ以外の番組はイギリスのBBCぐらいです。だから、イラク戦争でも、対立する立場のドイツやフランス、中国、ロシアなどの生の情報は入ってこない。攻撃に反対する国の生の声を聞いて慎重に議論する必要があるのに、アメリカという国家のフィルターを通した情報しか入ってこないため、世論が一定方向につくられてしまう。日本の現状況はそれよりましだが、油断できません。
 情報を考える上で「言語」や「地域」単位という概念も重要です。つまり情報のべースになるのは、国家とは限らない。ですが、日本のように国の規制が強まれば、情報は国家の色が強くなり、物事のさまざまな側面が見えにくくなる。
 イラク戦争では、イラクから発信された生の情報に世界の注目が集まっています。それを発信しているのは、在野の小メディア。国が”公認”する大メディアではありません。従来のメディアと、そうでない新しいメディアの境はもはや曖昧です。メディアの意味が変わろうとしているのです。ですが、日本の個人情報保護法案は、そうした流れに逆行している面もある。
 規制する主体である国家は、この法律は個人を守るものだと言って巧みに市民を説得しています。しかし、その代償として何が奪われるのかを真剣に考えると同時に、それが奪われずにすむ道を探るべきです。欧米では、国や警察、自治体が持つ情報は個別に管理することが重要だと、”市民自身”が考えている国が多い。そうした意識が日本には足りない。いまこそ気づかねばなりません。

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