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(回答先: 終末に蘇るユダ族の獅子、日本 投稿者 ユダ族の獅子 日時 2003 年 4 月 30 日 21:41:57)
私の未熟な考え、感覚を露呈する事を認めて頂いて、ちょっと口を挟ませて頂きたく思います。所々箇条書き風にして話を前後する箇所もありますが、まとまりのないまま置きます。 興味のある部分のみ 目を通してみて下さい。
この、現在日本という国土には、縄文の様々な遺跡が発掘されており現在も進行中でありますが、すべて出尽くせば、膨大な縄文人類の歴史における様々な研究がひとつの答えを見い出す事になるでしょう。三台丸山は現在何%その姿を現したに過ぎないのでしょうか。
ひとつ言えるのは 現在のこの国の顔とも言える、日本の国家宗教ともいうべき、
"神道"(「カミのオシエ(デ)のまにまに」というカンナガラの道)
は全てに敵対するもの無く、すべてを保有(許容、包括の意味合)したものであります。 世界各地にある一定の年代に突如出現した各"布教宗教(一神教)"に先駆けて、
もともとこの国には縄文以来の"自然発生宗教(多神教)"を根本としたものが根付いております。
つまりそれは、縄文当時の世界の人々は既に国際的な感覚でモノを見ていたということであり文化文明の粋は実際はここが発祥であります。追って説明します。
縄文といっても長い年月かけて様々な人種と付き合いを重ねていたので、現在では、「これが日本人の顔だ」といっても皆が納得しかねるでしょう。それだけ日本人はバラバラで多種間の混血種である事は隣人の顔を見れば証明していますが、そんなことは問題では無いです。
違和感が無いと言うのはそれだけ長い年月経過しているからでもあります。(アメリカ人の血筋が混ざっていたとしたら日本人顔としては違和感あるでしょう、それはここ数千年の歴史では無いからです)
よく天狗顔の神のお面を神事祭で目にしますが、あれはクニツカミ神(所謂縄文系)に数えられます。フルミネ(現在イタリア語では自然火、雷を指します)神、サルタヒコ神など赤い顔で鼻の高い神は今で言えば外来の神です。よくクニツカミの神々を助けたとされ、現在は日本の神としても祀られクニツカミの横に鎮座し共に祀ること善し、とされています。
世界中に同じ宗教形体、祭が盛んであったらしい事は様々な分野をかいつまんでみる限り、ああ当然、とうなづける事ばかりです。言葉もほぼ同じものを使用していたと思われます。中世迄は諸外国全てに日本、またはその国土は特別視されていた事は倭の国の天子と称された天皇に、日の沈む国の帝も頭が上がらなかった史実などにも見受けられるでしょうし、中世西欧の海図には東を上にして日本列島を最も上に位置させ"HEAVEN(天国)"と表記されていたことなどに知る事も出来ます。
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世界各地に伝わる神話のほぼ全てが源流を同じくしています。そしてまた、今に伝わるものは、国の当時の権力に合わせて改竄されたり、ねつ造されたり、誤植、誤訳はなはだしく記述されています。漢字を当て字にした事で、漢字の文字そのものの意味をも与え、余計混乱したものになっています。
例えば「スサノオノミコト(正しくはソサノヲ)」は「オオナムチの命(オホクニヌシ)」の父であるだとか、八岐大蛇神話は、
実際は、"美輪山に集落のあった龍蛇(オロチ)信仰の人々を虐殺した"「ヤマトのオロチ」虐殺事件であったりします。世界各地に点在する竜神信仰、または龍退治の話などは二つの勢力で言いあらわす事が出来ます。武器を持つ側、攻められる側。
アマテラス男神を、女帝の天皇即位の折り、中国から漢字を流入させ、それまでの神々の歴史は焚書、神道家の首を刎ね総抹殺、そして諸々の秀真伝を失伝させ次に台頭しようとした人物が居た訳です。事実、アマテラスを女神とすることには偽書日本書紀の作成謀略は成功したようです。
ヤマトタケルという有名な神も、実際は「ヤマトタケのミコト」と言い、ルをつけたのは意図的に記によってつけられたもので、「ル」には"狂っている"という意味が有り、愚弄してそう呼んでいる。それは敵対する側が呼んだ呼び名である事を意味します。
ヤマトタケルを好きな人も「狂人呼ばわり」していたと言う事です。
渡来人は騎馬民族。船に馬を乗せて渡って来た。馬は目隠しをすれば船の上だろうが大人しい。
何者の謀略かは不問に伏したいところ。しかしこれによって実際にはのちのち真の意味として日本人は一つとなります。現在迄誤りつつも伝えられている神道はそれでも力を保ち、疑うべきものでないです。それは神道家はこれは周知の事実であるからです。これさえ知っていれば、実の所あれこれ言う事は何も無いのです。
当然記は民には受け入れられなかったとする内容でありまして、当然ハナからそれを解っていたように思うのは、神社でそれまでやっていた先祖供養を寺がのちのち始めた事。これで大乗仏教として民衆に広く受け入れられました。
小乗仏教は先祖崇拝は無いですから。出家と言い、結婚もし、家族を増やすのは、もともと仏教というものの中ではあり得ないおかしい話です。今や肉もたべ放題らしいですが。もともとの教えが不明瞭であるが故色んな解釈が生まれます。
神道家は相次いで生き延びる為に神仏集合化を計り、伊勢神道などはアマテラスを大日如来としたりめちゃくちゃである。仏教伝来の意味するものはまさにこれが答えではないだろうか。とにかく戦乱の世の幕開けとなる。そして 宗教がわかりづらく、渾沌としてくるのもここからである。その一方で現在迄守られたものは有る訳です。
仏教はまた民衆に受け入れられず実際は神道が形を換えて生きていたのですがそれは大乗精神に元づく仏教であり、それは神道が源流であります。仏教の開祖はある時期神道を学んでおり、そして悟りを開きます。 神道は"神の教えのまにまに"という「カンナガラの道」。日本に伝わった密教は神道(呼び名は輸入、正しくは「カンナガラノミチ」もあっては居ないが、敢て言うなら。)
これは天竺に一度は収められ発展した仏教の基礎が、実際は、原始古代縄文宗教→カンナガラ→大陸で神道と広まり→仏教の基礎を作ったとされる釈迦は旅先でそれに出会い学ぶ。
もうひとつはヨガのように絶対的に自分だけを高める小乗的(反宗教)なものと別れる。
また仏教とはその道では小乗こそ釈迦の教えとするも、真逆の大乗の方が受け入れられ、日本に於いては混ぜこぜであり、出家と言っては出家せず、家族を持ち、子を養い、まるっきり神道、神の教えのまにまに、大乗仏教はやはりカンナガラの影響が現われております。
仏教界でも何がどうなのか、小乗仏教が仏教のはじまりであるとされている分、何がいいのか悪いのかと言う難問となって仏教界には定着しております。当たり前。基礎が崩れているから。
さて、乗り巡って年月を経て、策略に寄り神道の危機に晒された日本に"仏教"として空海が持ち帰るのは密教。つまり逆輸入された神道。密教は仏教と変貌し伝わりましたが中身は神道であり、陰陽師は古くの神道の形式と密教を使い分けているようにも見えますが、実は一緒のモノであります。知る人には当前の事であります。
また経典を日本人である空海のみに伝えられたと言うのは、やはりそういった秘密があった事も伺い知れます。
神道は肉は御法度、鱗魚は血を穢すものでは無いので良い、純縄文人は当然食べませんでした。食べる事は、堆肥を腐らす事であり、しいては農作物の枯れ、飢えと病気に密接に関わる事でもあったし、健康上の理由、輪廻するにも血を求めるという考えに寄り、七代毎に正しく人に生まれ変わる為には迷い乱れる肉食はしません。寒い時代を越す時に多少のとり肉を食べたそうですが、その後七日間はすずな、すずしろを食す様にとのクニツカミに対するアマテラスの教えもホツマには記載されているようです。(すずな、すずしろ:大根と蕪のこと=血を分解する)
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そこで、織田信長も比叡山を焼き討ちした理由が解るはずです。女子供居るはずの無いところでもって、堺の商人とつるみ、武装化迄していたのですから。宗教を語って民衆を取り込み、戦で血を流そうとしたのです。それを知った信長が黙っている訳は有りません。再三の忠告の後攻め込んだのは言う間でも無い事です。
その後、百姓出と言われる秀吉の代に延暦寺側は泣きつき、懇願して現在に至っているのです。ちなみに 秀吉も百姓の出では無く、庄屋の次男か三男坊であります。庄屋に出入りする旅人の情報が欲しかったのです。素性の知れぬものを織田信長ともあろう者が近付ける訳はありません。秀吉は朝鮮出兵で日本の歴史に汚点を残したと言いますが、もともと日本は奪われたのです。さてそれはどこからと言うと海賊スペイン、蛮族イングランド。日本は一つだったとするのは圧政によってひとつではなく、和としてひとつだったのです。その頃貿易をしていたポルトガルの使節などからスペイン海賊の話を聞かされ、日本の統一も終わった頃だったので、スペインを倒すから邪魔するものは敵であると各所外国に通知し、世界の天王山はインド(天竺)だと踏み目指して進もうとしたところ朝鮮はその通過を拒んだ。そこで戦になった。朝鮮を狙った訳では無い。フィリピンなども使節を寄越し、邪魔をしないとの声明をだしていた。
現在までインドがどれだけ帝国に利用されているか。日本はスペインから植民地となった国を取り戻しにいっただけである。それが解らないと何もならない。文献は残って居るはずだから。
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「人は天と地とあれ」、という、天地人合一の教えを諏訪大明神は青草の民に教え諭しました。諏訪神である「タケミナカタトミノオオカミ」は、"トミ"とついている事からも伺えるように"アラブル"(非常に霊力の高いという意味)力を持ち、人々を助けたシャーマンであり、神々の一人であり、クニツカミ最高の霊力を誇った神であります。ペルーの日系大統領となった藤森という姓氏の民族は騎馬隊をひきつれて日本列島を北上しようとしましたが、諏訪地方より先には動けなかったと言います。それは史実にはいまの大陸寸断するフォッサマグナがその騎馬隊の前に地が裂け、進路を断ったと伝えています。その父の「オホクニヌシノミコト」、兄の「コトシロヌシノカミ」(鈴明(スズカ)の道:細く長く生きよという長寿こそ大切とする教え)共に三神、非常にカシコキ知恵と方便を備えており、その恭しき事、気軽に口に出せない程であります。
知る人は知る大物主神との関係は現在にも代々脈々と繋がっております。
ちなみに、出雲は実際は現在の場所を指しません。大社の遺跡はあれはあれで古いものですが。まったく新しく作られたものであることは明確なのです。それは偽書にも通ずるモノであります。
( 荒ぶるとか悪とかというのはやはり漢字が来てからおかしくなったもので、実際は"悪い"という意味では無く、もともとは"強い"という意味の言葉です。源<悪源太>義経。平<悪七兵衛>景清が有名でしょう。赤松円心の"悪党"なんてのも、実際はそれに敵対する幕府が呼んだから悪=「悪い、非道」という意味に転じたもの。)
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アマテラスオホミカミ(伊勢の道:めおと和合の道を教えた)自身は、この方は人の転生ではありませんから、(太陽の魂(タマ)をイサナキ(樹)、イサナミ(実)ふた神が、ハラミ山(現富士(不二)山、蓬来山とも)で清めの1000日行をし懐に身籠った子)であり、部下のアマツカミ軍とは違い、非常に優しく、信ずるもの、そうで無いもの分け隔てなく、助けたいという心が旺盛なのです。天皇家が特別とするのはちゃんとこうした由緒ある血筋を絶やさない為の当然の措置)
日本語そのものは言霊の発音、一字一音をしっかり守っていて、発音も明瞭で力強く、まだ耐ええられるものです。母音の形には自然五行「ウツホ("空"は当て字だが"無"の意味にアラズ)、カゼ、ホ(火)とミズ、ハニ(埴)」そして日、月、星の、光を組み合わせた点と線の組み合わせで全48文字です。
あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ・・・しいたらさやわ あかはなま・・
と輪廻して唱える事のできるアワ歌というのは陰陽、メヲト、イサナキイサナミ二神が作った和歌とされ、天地(アメツチ)の歌とも言い、天と地の間に全てを包括している、全ては輪廻しているとの意味も含まれます。 これらに"トホカミエヒタメ"、"アイフヘモヲスシ"八神(反時計周りに配置)、その周りにミソフノタメミヒコ(三十二掌相彦神)を配置し合わせて天と地を構成する48神です。ウは人であり、アウワで天人地となります。それを縦に中心に置き、大曼陀羅とします。
言霊とは、星に生物が生まれたその時に必然的に現れるとされるものです。正しい言霊は、耳より脳に響き入ると脳波が整えられ、常に活気に溢れ、身体の調子も整えられという効果が期待出来ます。 また、般若経のマカハンニャ波羅密多というのはこれが由来であると思います。
数字も、ヒフミノハライにて学びます。
ひふみよいむなや、こともちろらね、しきるゆゐつ、わぬそをたはくめか、・・・のますあせえほれけ と続きます。ほれけ・・・で終わるこの「ほれけ」は法連華経に繋がりが有ると思います。
"ヒ"は1であり、"ト"は10です。1から10迄揃って始めて"ヒト"となれます。未成年(成人として認められぬもの)は1から7まで"ヒナ"と呼びます。八割に満たないと言う意味が強いです。ほどほどというのは何でも腹八分と言うように、ほどほどが良いという教えはここから来ています。縄文世界は調和。「和」が基本精神です。楽しみを分け与え、物を譲り合うシステムです。
とある研究家はこれを アワ歌に比べては劣っているだのと これは出鱈目だとしている方も居ますが、それは大きな誤りです。
現在残っている"ホツマツタヘ"もアマツカミ寄りで、史実を書き加えられている事は間違い無い訳です。偽書日本書紀はその"ホツマ"伝をかなり歪曲、さらに捏造、誤訳数え上げきれずな訳ですから、いくら読んでも研究家があれこれ言っても何も解るものはありません。悪戯に時間をかけてもさらなる解釈が堂々回りし、ややこしさを増すだけでしょう。
数字の桁はヒフミの祓いにあるように、47音を数え、明記されていない「ん」は「0」であると考えられます。琴の音階にもある五音七道の音階ともとれる琴の葉(言葉)の由来はまじないである和歌を琴を鳴らして引き謳うものであった事から。すべて人の一生も植生する植物と同じという考えで、木、実、根、葉、など物事すべて植物に例えられていました。
言霊が正しくこの国しか伝えて来られてないのは、ひとつは侵略国イングランドが植民地支配し、英語が席巻したこと。また意図的に乱し撹乱することで秘儀を教えなかった事。バベルの塔の話は事実を残している話と思われます。
日本だけは間違ってもそう成らないだろうというのは、それだけ日本語の持つ言霊が強いからです。
聞くところによると、日本語は左脳で感知する言語で、英語やその他言語を聞き取る際は右脳で音楽のリズムで察知すると言う話を聞きましたが、納得です。
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印を結ぶのはカンナガラでは、星の周期律動に合わせた三十二(ミソフタ)の掌相彦(タメミヒコ)神々の組み合わせによりまじないである、和歌うた(一字一神一音)でとり行われます。
これは実際は失伝せず各地に残っていたホツマ伝え(ツタヘ)に記述されています。しかし、これもある程度アマツカミ系寄りの物語がかき加えられていて、現在日の目を見ているものは縄文の神々を良く残していない。つまりそれは、三種(みくさ)譲りの国譲りの神話は嘘の嘘等があげられます。ホツマにも残る、アマテラスの生存していた時代には、すわ一大事!に皆が訊ねて来たとされる「スワ」の神は第五代スワノカミ、とでてくる。国譲りで逃げ延びて諏訪に逃れたと言う話は定説とされてますが、それをあり得ないとする宗教家は少なく無い。というかあり得ない。それは、諏訪地方にはもとより古代神が祀られている場所であり、その地にもともと住まう神々と、霊力による相撲を取り、勝ち、現在四社各社の象徴する社木に神を納めたという話にも現れ、諏訪湖の周囲を使って、今で言うオリンピックが開催され、各地から人が集まって来たという伝えも知る人ぞ知る事。そして何より時代がずれている。これはそのホツマツタエが紀記の写し訳した原本とする、紀記の時代に寄り近いものであった事が伺えます。なにより今の宮司さんが知らない(勉強していない)事には呆れます。伝わっている縁起にまつわる文献はきちんと有ります。
よく神事で聞く祝詞はすべてこの三十二文字を区切りとして形成されています。
宗教とは自然観であり、人生観でもあり、人が活き活きと、まさに人植生する青草のごとく、生き物すべて仲間として楽しみを分かち合い、痛みを分かち合いすればそれは宗教で言っている意味に当たり、特定の宗教に属する等と言う事せずとも理にかなう、となります。
争いがない、しいては国境と言うものが無い、「クニタマ」は所謂地球そのものを言い表わしていたようです。つまり一つの国であった。勿論 顔だちや民族の違いはありましたが、それは価値観、宗教観を共有していたということです。そして文字も当然、現在よりすぐれた知識を持っていた、まじないの力を最大限に発揮する、
「ホツマ文字」(言霊文字:一字一音一神が原則、本来どの国の言葉も発音があやふやだが英語が世界を席巻する以前の国々の言葉を)といわれる言葉を使用していました。これにより五七調の和歌(わかうた)で綴ったこれはシナイ山に残ると言うシナイ文字のルーツであり、有名な、偽書とされる「竹内文献」に登場するモーゼがこの現在日本にきて、
ちなみに 三台丸山縄文人の集落跡は現在の東北でありますが、その頃の地球は、地軸の関係で、縄文部落の花盛りだった東北は、今の沖縄の様に温かい気候だった事はいうまでもありません。この辺はどの本にも載っている事です。
歴史の教科書や博物館で見るような狩猟の民では無く、着るものは"シルク"、ちゃんと履物を履いており、現在の人間よりきちんとした格好をしていたことが解っております。肉食ではありません。
そして、縄文も後期と言われる数千年前は渡来人に対する抵抗の歴史な訳ですが、この時も様々な戦いにまつわる伝承が実際あちこち旅行すると残っている事がわかります。
絶妙なバランスの上にこの宇宙、自然というものは成り立ち、星の運行と言うものは、自然、人体に大きく影響するものである故、教え伝え、政(まつりごと)を生み出しました。そして節目を祀るというのは実に帳じり合わせな時間の歪みを整える作業な訳です。しかしこれをしないととんでもない事になる。
現在にも日本に残る暦は、祭を為すべき年の節目節目を守り伝え、日々の毎日から、節供、1年、4年(潤年)、6年に一度、72年に一度、400年に一度(大閏年:ついこないだは関ヶ原の合戦の年、2000年はグランドクロス)、1000年に一度(2000年に一度etc...)と、確実に星の運行が地球に及ぼす影響を予言し、世界中で祭は行われ、的確に対処して来ました(縄文以前)。
必ず村落には祭祀の場である日時計、環状列石群(ストーンヘンジ)があります。
世界に伝わる暦の基は、主に中心に、アメノミナカヌシノカミ、周りをトホカミエヒタメ八神(天上界はこの八色の八豊幡:ヤトヨハタ=東から時計周りに白、水色、南は青、紫、西は赤、橙、北は黄、薄黄=中国風水は実際90度ずれている)で守る形をひとつ、そして東西央南北を司るキツヲサネ神、アミヤシナウ(編み養う)八神、エト(兄弟:陰陽)を組み合わせた暦で60年周期(還暦)を数えます。これは
カミとはすなわち自然神(魂の存在)と、それを民に伝え教え広めた(トミ(シャーマン)が神上がりして神の道へ引き込まれた)先祖であります。先祖崇拝こそが、人を敬う事になり、また新たに生まれる子供も魂は先祖であり、だからこそ自分というものは常に人の下である、というのがオシエであります。
モーゼの十戒とは、民を纏めるのに"ヤマトのオシエ"を学び持ち帰り人々を諭したといいますが異論有りません。"ト"は十であり、エト、のトであり、"マ"とは真であり、"ヤ"とは八民八重草を護る八柱神の力を言い表わすものです。 現在のこの日本本土における多様な顔だちを見ても歴然とするように、多種間の混血はこの縄文世界に行われています。それはユダヤと呼ばれる民とも交流が有り、宗教を共有していました。ユダヤとは種族を言い表わすのでは無いそうですが。それも当たり前の事でしょう。アメリカ人と言っても国籍が有るか無いかだけですから。
秋田にはヘライ(戸来)村がありますが、そこはユダヤのシンボルでも有る"六芒星"が伝えられています。そして実にその土地の顔だちをみるとまぁ、顔つきもある特徴を伝えています。六芒星はもともと縄文神道のマークです。クニツカミ系の神社は大抵これを伝えています。ユダヤだけのものではないです。カゴメ模様として有名です。ここにはモーゼの墓、キリストの墓もあります。生後つけるホーリーネームも風習として残っています。そしてヘブライ語訛りが有ります。東北にはヘブライの賛美歌が民謡と形を変えて伝わっています。
現在、非常に宗教というものを誤解される事件が多発していますが、それも遥か縄文以前のカミというものが何であったのかを伝える当時の人々の暮らしぶりを正しく調べられれば、何、もっともな事を伝えているに過ぎない事が解ります。当然、今の、あれこれ戦争神話しか知らない宗教観を"お持ち"の人には到底理解のできる代物では無いです。
もともと 世界は平和でひとつであった。それが縄文を見れば見る程、知れば知る程納得ができるのです。でなければ同じ文化である縄文時代が1万数千年も続くはずがありません。現在のアメリカのような世界観を人々が支持していたなら人は太古に滅んでいたでしょう。
とりとめもなく長々と、書きたい事はかき尽くせず、中途にて御免。