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2003年03月28日(金)付朝日新聞
《検証》見えない戦争 飛び交うウソ・誇張
「大統領死亡」流し、イラクの動揺誘う
「送信機に技術トラブルがありました」
数時間の中断のあと放送が再開されると、イラク国営テレビのアナウンサーはこともなげに告げた。実は26日夜の放送中断中、バグダッドのテレビ局は2度にわたり空爆を受けていた。報道機関を米英軍が標的にしたことは「ジュネーブ条約違反」と非難されている。だが米国内に広がるのは「政権の宣伝に使われる放送局をなぜ1週間も放置したのか」(ニューヨーク・タイムズ紙)という声だ。フセイン大統領は24日、同テレビ局で「ジハード(聖戦)の精神で敵をたたけ」と演説し、国民に徹底抗戦を呼びかけた。フーン英国防相はただちに「録画とみられ、本人かどうかは不明」とコメントした。だが演説は「ウムカスルでのすばらしい戦い」と最近の戦闘に触れていた。仮に演説が録画で大統領が負傷か死亡したとしても、イラク国民に政権が機能していることを示したことには変わりない。演説後、イラク軍は反撃を強めた。米国の最後通告期限が切れて1時間半後のイラク時間20日午前5時半、バグダッド南部の住宅街が轟音(ごうおん)に揺れた。巡航ミサイルや精密誘導弾、地中貫通爆弾(バンカーバスター)が、同じ一帯を執拗(しつよう)に襲った。
米中央情報局(CIA)は19日にフセイン大統領とイラク最高指導層の所在情報を入手し、米英軍は大統領個人を照準とするピンポイント攻撃を実行した。敵の指導者の居場所を知っているというメッセージで、心理的な動揺を誘う作戦だ。
亡命情報で居場所探る
別の心理戦も始まった。
第1撃から3時間半後フセイン大統領はテレビで「夜明けの祈りの時にブッシュが罪を犯した」と非難した。本人の映像が流れたにもかかわらず、「フセイン死亡情報」が流れ始めたのはこの直後からだ。21日、英BBCが死亡の可能性を報道。続いて米ABCが米情報当局関係者の話として、「酸素マスクをしたフセイン大統領が破壊された私邸から運び出されるのが目撃された」と伝えた。ABCは翌22日、長男ウダイ氏、ラマダン副大統領を含む側近3人も死亡と報じた。サハフ情報相が「大統領は健在」と否定しても、米英政府は「消息を確認できない」「所在はわからない」と、大統領死亡に含みを残す態度をとり続けた。米英はあえて「死亡説」を広げ、イラク側の反応を通信傍受して指導層の動静を集めようとしたふしがある。前哨戦は開戦前にもあった。19日、イラク反体制組織が「アジズ副首相が亡命」と公表し、各メディアが速報。アジズ氏は同夜、急きょ記者団の前に現れて「うわさ」を否定した。翌日のピンポイント攻撃という事実と考え合わせ、会見後のアジズ氏の動きから大統領の居場所を突き止めたとの見方もある。22日未明には、米高官の話としてロイター通信が伝えた「南部バスラ近郊で8千人を率いたイラク陸軍第51師団の正副司令官が投降」とのニュースが世界を駆けめぐった。だが、この日までに捕虜になったのはイラク全土で2千人足らずで、師団の投降もウソだった。携帯電話に寝返り促す米国防総省は開戦前からイラク精鋭の共和国防衛隊幹部らに、電子メールや携帯電話、国外の親類を仲介した説得も駆使して投降を呼びかける交渉に全力を注いでいたとされる。米英側に寝返りそうな司令官の個人情報を調べ、どんな条件や「脅し」が有効かを分析したプロファイリング(人物像推定)も活用された。バグダッド防衛にあたる精鋭部隊、共和国防衛隊を対象にしたプロファイリングでは、米海兵隊の将校12人がそれぞれ1人のイラク司令官を担当し、個人の経歴や信条だけでなく、イラクの歴史や宗教のことまでも頭にたたき込んだ。「大統領死亡」や「大量投降」という謀略的な情報流布が、フセイン政権崩壊は間近という印象を与えて投降を促すために用いられたのは間違いない。「イラクがスカッドミサイルを発射」「油田30カ所に放火」「化学兵器施設を発見」など、後に事実無根や誇張が判明した情報も次々と発せられた。「フセイン政権の脅威」を湾岸諸国に植えつけるねらいとみられる。こうした「情報戦」は、イラク側も米英メディアを注視しているとの確信に基づいている。バグダッドに疾走する米軍部隊に従軍したCNN記者が「この場面をイラク当局が見たら、どんな脅威が迫っているか思い知るでしょう」とリポートした翌日、バグダッドにいたCNNクルーは退去を命じられた。BBCのアラン・リトル記者は「私たちの報道は(米英の)軍事作戦の一つに組み込まれた」と表現した。だが、米英軍地上部隊の首都バグダッドへの進軍が激しい抵抗に遭い、投降に見せかけた襲撃や私服の兵士の奇襲で米英側の被害がじわじわと広がると、風向きが変わり始めた。
「ベトナム戦争のような成り行きになるのではないか」「作戦は成功しているというが、米英軍の被害について本当のことを答えてくれ」。開戦後しばらくは戦果の発表の場だった米中央軍の定例会見では、こんな挑みかかるような質問が飛ぶことが多くなった。次々に情報戦をしかけて劇的効果を狙う段階は終わりを告げた。